2013年5月7日火曜日

Bioshock Infinite

Angry Joeによるレビュー

前に発表された予告に比べると、ゲーム本編は期待した物では無かった。
2010年に発表されたらしい「ゲームプレイ」動画

ゲームプレイを除けば本編は素晴らしい出来た。驚嘆する美しさと密度を持つ舞台設定、ゲーム本編に影響を及ぼさないメッセージ性(どう感じるかはプレイヤー次第)、前作Bioshockよりも主人公を全面に出した「様に」見えるのはパブリッシャーからの圧力なのかは不明だが、通常版以外では主人公が描かれていないので恐らくそうなのではないだろうか。

で、ゲームプレイはというと、2007年に発売されたBioshockと違う点は無い。プレイしている感じはほぼ同じだ。違いはというと、環境を使う要素が少ない事と機能していなかったBig Daddyが削られた事だ。そう考えるとゲームプレイの要素はBioshockより少なくなっている。なのでメディアで言われる「画期的なゲームデザイン」というのはどこを指しているのかわからない。私が遊んでいるゲームは違うのか?

ゲームを進めてみて、感じた事は多分ゲームとしての面白さを追求しなかったのでは無いだろうか。という事だ。だって2010年の「ゲームプレイ」動画の方が圧倒的に面白そうだからだ。あれに比べるとRAGEを彷彿とさせる敵AIと特に面白くも無いスカイライン…正直に言えばもっと素晴らしい体験を出来る物と信じていたスカイラインだ。ジェットコースターよりも遥かにしょぼく、あれならスキー場のリフトの方がスリルがあると思う。ゲームとして面白くする事はできたのだと思う。ただ、それを選ばなかったのでは無いだろうか。例えばスピードを出し過ぎたらスカイフックが外れるようにすればプレイヤーは慎重にスカイラインを使うだろうし、ゲーム的にはメリハリが出ただろう。実際の所、ゲームプレイとしてコロンビアが空に浮かんでいる理由は特に無い(私がプレイした範囲での話だが)。

プレイヤーのストーリー体験を中心に据えた結果としてゲームプレイが切り捨てられた様に思われる。残念か?と言われたら残念だと答える。とはいえ、ゲームプレイを切り捨てた結果「画期的なゲームデザイン」として評価され、販売も好調ならそれは成功した結果なのだろう。ただ、そこまでしてストーリー体験を表に出すなら別にFPS形式にする必要があったのだろうか?私の場合、ゲームプレイとストーリーの両輪が回る方が好きで、片側が猛烈な速度で回転すると冷めてしまうため尚更そう感じるのかも知れない。どの武器を使おうが、どのギアを使おうがゲームプレイはさほど変わらない。”なんとかには火が効きません”と表示されても「へぇ」としか思わない。「不味いぞ!火が効かないのかよ!」なんて事は無い。

じゃあどうしてこういうデザインにするのか?という事を考えるとプレイヤーに死亡体験をさせたくなかったからなのでは無いだろうか。プレイヤーを死亡させれば嫌でも「ああ、これはゲームなのか」と感じざるを得ない。だからスカイフックが外れる事も無いし、武器やギアの取捨選択を間違えて詰んだりしない。逆に有利になったりもしない。弾が無くなったら他の武器に切り替え、しょっぱいギアを装備してもうんざりする事も無い訳だ。全てはプレイヤーのストーリー体験の為に、と考えれば納得が出来る。

ああ、そう考えると確かに「画期的なゲームデザイン」と言えなくも無いのか。私はHalf-Lifeの夢から醒めていないだけなのだ。多分心のどこかで再びああいう体験をしたいと思っていて勝手に期待しただけなのだ。Bioshock Infiniteは私にとってお買い得なゲーム(Spec Ops: The Lineと$20分のポイントと…何故かXCOM: Enemy Unknownもついてきた…大丈夫かGamersGate)だった訳だが、まだ 15年前のHalf-Lifeの夢を追っているというかなり苦い自分を知って少し憂鬱だ。FEARで海兵隊との戦いの夢は醒めたが、Half-Lifeで経験した、「環境vs自分」の夢は醒めていなかったのだ。

私がBioshock Infiniteに期待していたのは、コロンビアの環境と戦う事だったのだ。だからここまでガッカリしたのか。ようやくわかった。スカイフックを握りしめて助走してジャンプしたかったのだ。スカイフックをスカイラインに引っ掛け損なって真っ青になりたかったのだ。科学の夢である「空中都市」を体験したかったのだ。想像の中で火花を散らし走るスカイフックを歯を食いしばって握り締めた手応えは素晴らしい物だった。白い雲海と青い空と空に浮かぶコロンビアの光景の中、風を切り裂きスカイラインを進むのはまさに想像を絶する体験だった。 発売までの(ありがたい事に流石2Kだけあって、英語版なのに1ヶ月延期してくれた)ワクワク感を味わったのだから私にとっては良い体験だった。あのワクワク感に比べれば本編でのガッカリなど大した事では無いのだろう。それがわかっただけでも良かった。

2013年3月13日水曜日

Pyrotechnica

LGR - Pyrotechnica - DOS PC Game Review

製作はPsygnosisと言っただけで「ああ…」という反応もする人が多いと思うが…まぁそれで当たり。

1995年に発売になったゲームだが、前年にはDescentが発売されておりこの作品のインパクトというのはほとんど無かった。どれぐらいインパクトが無かったかと言うと、私が当時買っていたPC Gamer(UK)の体験版を遊んで店に注文したら「問屋から扱ってませんって回答でしたわ」というぐらいで、その後も幾つかUK関係の店に当ってみたものの、結局買うことが出来なかったソフトだった。

それから数年後、東京に行った時にソフマップに中古が¥2,980円で売っていて購入した。ちなみにパッケージのデザインが結構好きなのだが、今まで同意を得たことが無い。メカデザインがちょっと…というのは確かにその通りだと思う。でもその辺もPsygnosisらしいという気もする。

星の採掘権を巡る戦いで司令官が囚われて救助する…という内容らしい。ゲーム内容について正直良く覚えていないのだが、攻撃オブジェクトのほとんどに光源が設定されており、飛び交う弾で通路が照らされたり、着弾した弾が周辺を明るく照らすなど、デジタル花火みたいな光景が印象的だった。

Pyrotechnicaという作品はゲームとしてほとんど評価を受けなかった訳だが、映像表現と音楽でプレイした人の印象に強く残った作品なのだと思う。全11曲(だったと思う)は全て体験版に入っていたので聞ける曲は製品版では増えなかったが、GUSに対応していたのは製品版だけだったと思うので、その辺の価値はあったのだと思う。多分。
 Pyrotechnica intro

Pyrotechnica BGM01

 Pyrotechnica BGM02

 
 Pyrotechnica BGM03

 まだソフマップのシールが貼られた箱が本棚に刺さっている。手に入れた時は思わず「おおっ」と口に出すぐらい嬉しかった。(そして東京の中古市場の値段の高さに驚いた。定価を超えたものとか、数万のプレミアがついた作品が売られていた)このゲームとDescent、どちらがデザイン的に価値がありますか?という話になったらほぼ100%がDescentを選ぶのだと思う。それでも手に入れた本人にとってしか持ち得ない価値というものがあるのだと思う。その価値を比較しようとするのは野暮というものなのかも知れない。

Blade of Darkness

黒の剣では無く(あちらも私は相当好きですが)スペインで作られたアクションRPGがBlade of Darknessだ。北米ではSeverance: Blade Of Darknessというタイトルで発売された。つい最近、GOGで販売が開始された。マルチランゲージ版なので、こちらはヨーロッパ版になるのだと思う。

Blade The edge of darkness Juego Español Trailer

北米版でもヨーロッパ版でもタイトル以外に内容は変わらない。特筆すべきは卓越した残虐表現と当時としては非常に豊かなライティング表現、そして男性コーラスを使用した楽曲の迫力だ。女性コーラスを使用したゲーム音楽は多いが、ほぼ男性コーラスのみという作品は珍しいと思う。

Rebel Act Studiosは元々ゲーム会社では無かったらしく、CADとかを扱っていた会社らしい。(当時のフォーラムにはスタッフによるそういう書き込みがされていた)で、初めて製作されたゲームがBlade(開発時タイトル)というタイトルで初めてのゲームという事もあって開発は相当難航したらしく、2000年の発売予定だったが実際に発売されたのは2001年だった。契約の関係からか、開発が完成する前に販売されてしまったせいで初期のバージョンは品質が非常に低かった。最終的にはパッチで安定したゲームにはなったものの、序盤を除けばゲームとしてバランスは常に崩壊している状態で、悪いことに終盤に行くに従って更に悪化してゆく。

デザインはナムコのソウルエッジに影響を受け、通常のスイング振り分けの他にコマンド入力による必殺技があるのだが、必殺技のダメージが敵の強さに合わせてどんどんインフレしてゆくのに比べ、通常の攻撃がほとんど追いつかない。必殺技は装備している武器に固有の物で、アンロックはレベルアップにより行われる。つまりレベルアップがおいついていないと大して効果の無い攻撃を延々行なって倒す事となり、必殺技を使えば一、二発でケリがつくというレベルデザインとなっていた(調整する時間が無かったという事らしい)。結局これは修正されなかった。また、防御した際に盾等にダメージを受ける(鎧はダメージを受けても壊れる事は無い)ので、結構簡単に矢や敵の攻撃で壊れてしまう。まぁそれはそれほどの問題では無いのかも知れないが両手用の武器を持っている際、武器がダメージを受ける。実際、ゴーレムのパンチを長剣でガードした際に一撃で剣は真っ二つになって折れて、思わず「うおぉ!」と声が出るぐらい驚いた。予備の剣に切り替えて苦労してなんとかゴーレムは倒したものの、武具の耐久力は10倍ぐらいあっても良かったのでは無いかと思う。

発売後は良くある流れで開発陣と経営陣と意見がぶつかり、最終的にはRebel Act Studiosは解散してしまう。そのゴタゴタの最中にもXbox版の発売が予告され、イマジニアにも日本語PC版の発売が告知された。もちろん両方ともいつの間にか消え去ってしまった。その後、Mercury Steam Entertainment S.L.という会社が作られ、Clive Barker's Jericho、Castlevania: Lords of Shadow等を作ったそうだ。

と、まぁ問題の満載されたゲームな訳だが、松明が作り出すコントラストの強い陰影!コントになっていない残虐表現!力強い男性コーラスの生み出す楽曲の迫力!独創的なモンスターのデザイン!(特にバンパイアとキメラ)と何度もエクスクラメーションマークを付けたくなるぐらいインパクトの強い作品だった。
Severance: Blade of Darkness Main Theme ( full)

ゲームにもうスペックは必要無い?

「ゲームは今の性能で十分です」なんて話は10年以上からある訳だけど、未だにそういう事言う人がいる。
なぜ?と問うと返ってくる答がこれ。

「だって画面が綺麗になるだけじゃないですか」

馬鹿か。とこれだけで終わってしまうのも何なので適当に続ける。
昔のグラフィックの方が味があった、まぁこれに関しては否定しない。私もPC-88のMULEとAtari800のMULEでどっちが味があるか?と聞かれたらAtari800だと思う。(でもPC-88でAtari800の味を出すのは根本的に無理だろ)

「昔のグラフィックの方が想像の余地があった」

そうか?今のゲームでも想像の余地は十分あると思う。この辺は好みがわかれる所だが、腹が立つのはグラフィックに「昔はこの程度で良かった」みたいな事を言われる事だ。別に昔のドットを打ってた人も「8ビットだからこれぐらいでいいだろ」なんて事をやってた訳ではなく、それこそ心血を注ぐ打ち方をしていた。今だって大変な手間を掛けてゲームを作っている方々がいるわけだが、昔は楽に作ってた訳では無い。どうしてそんな失礼な物言いが出来るのか不思議に思う。「想像の余地のあった」グラフィックも別に想像の余地を意図して作ってた訳では無いだろう。

グラフィックがゲームの全てではない。そのゲームに含まれているあらゆるものがゲームの構成要素だろう。昔はマニュアルだって立派なゲームの一部だった。今はそうでは無くなったが、替りに操作系は非常に安定した訳だし当時に比べればインターフェイスも相当洗練されていると思う。まぁ何よりもグラフィックはゲームにおいて重要な要素の一つだが、ゲームのスペックが使われるのはグラフィックだけではないというのに何故か「向上したスペック=グラフィックの向上」という図式が出来上がっている。AIだって相当なスペックを使うのだし、メモリに余裕が出来れば数々のデザイナーが挑戦して敗れ去ったゲームにおける即興性が可能になるのかも知れない。

私の場合、ガキの頃に夢見た未来のゲームは現在既に過去の話になっており、この先どう進化するのだろうか?と思う事がある。スペックが必要無いと考える人達が何を考えているのか理解できない。過去のゲームと同じ物を遊びたいなら過去のゲームを遊べばいいのでは無いのか?グラフィックしか向上していない?一体どこを見ているのか。私が例えばXbox360やPS3の頃からゲームを始めていたとしたらそう感じるのだろうか。私からすると今のゲームは数十年の都市の変化を早回しで見ているような感じだ。車が無人になったり空を飛んだり、建物にチューブが這うのを見られるまで生きているのかはわからないが、デザインはどこまで進化するのだろう?動的な世界は可能になるのだろうか?感情を扱う事は?もっと優れたデバイスが登場する?ディスプレイの進化は?幾らでも進化の道筋はある。有限がデザインの力を引き出すというのは事実だと思う。だが、スペックが十分にあれば同様にデザインの力を引き出す事も可能なのでは無いだろうか。

全てのゲームがスペックを使い果たす必要は無い。1ドット単位の調整が可能だったり、物理エンジンを搭載したテトリスを喜ぶ人間はあまり居ないだろう。シド・マイヤーは子供の頃、地図を見てゲティスバーグの戦場を想像したと語っていた。もしそういう物をゲームで体験できるのだとしたらスペックには意味があるのだと思う。Half Lifeで崩壊が起こる中、研究所を駆け抜けた時。Read Dead Redemptionで指名手配犯を捕らえ、追手と銃撃戦を繰り広げた時。F.E.A.R.でアサルトライフルの銃弾が敵のヘルメットに当たり火花を散らした時。様々な瞬間をそのスペックが実現してくれた。いつかはネクサス6のように「タンホイザーゲートの近くで闇の中に輝くCビーム」を見られるのかも知れない。だから画面が綺麗になるだけでも意味があるのだと思うし、テルモピュライやモンテカッシーノを体験できるのなら「画面が綺麗になるだけ」という事は無いだろう。

2013年2月2日土曜日

ペルソナ4

2/2 訂正
以下、因幡市の記述は私の勘違いで実際には「田稲羽市」。

Gametrailers.comによるレビュー

このゲームがどういうゲームなのか知ったのは、Gamespotの2009年ゲームオブザイヤー関連の記事だったと思う。機種別でPlaystation2の大賞を取った…はず。対象の記事が見つからないため、記憶で書くが「既に物置に仕舞ってるPS2で埃を吹き飛ばして遊ぶ価値がある」みたいな評価だった。ちなみに北米ではShin Megami Tensei: Persona 4というタイトルで発売され、後で調べると珍しい名前等のローカライズを極力行わないという事で話題にもなったらしい(当時、日本のゲームで海外で名前等が変わるのは一般的な話だった)。

その2009年年末の私は年越しするゲームを探してインターネットを見ていた。で、その日の内にペルソナ4を買ってきた。概略はこんな感じ。

「両親の仕事の都合で主人公は1年間叔父の家で生活する事になる。そこで主人公は怪奇的な連続殺人事件に巻き込まれてゆく。」(自分の説明の下手さにちょっと感動した)

主人公は大都市の出身であるが、舞台となる因幡市はやや寂れつつある中規模都市で商店街はシャッター通り化が進み、人口も減少傾向にある。もう一つの世界は現実世界と対になる影の世界で、主人公とその友人たちは事件の謎を追いつつ、日々を過ごす事となる。

序盤の1時間ぐらいはほぼ全て状況の説明に費やされる。正直、初めて遊んだ時はここで嫌になって止める寸前だった。それでもなんとか乗りきれたのは興味深い舞台設定、キャラクターの個性、世界観にあったバランスの取れた音楽にあると思う。ただ、今遊んでも序盤は恐ろしくダルいので2週目以降、カットできても良かったのではと思う。

本編が始まると、突然自由度が上昇し以下の行動が選択可能になる(但し、全てがすぐに可能になる訳ではない)
  • 事件解決(あるいはレベルアップ)のために影の世界のダンジョンに通う
  • 主人公の日常生活を行う(部活、学業、飲食、バイト等)
  • イベントを実施し、コミュニティを強化する
ゲームでは行動毎に日数が消化されるため、選択はプレイヤーを悩ませる。ただ、期間内にダンジョンをクリアする以外にゲームオーバーを迎える事は無いようなので初めぐらいは自由に遊んで問題無いと思う。コミュニティというのは社交的な価値(恋愛、友情、信頼等)が主人公が使役するペルソナ(後述)の強化にも繋がるため、ゲームではコミュニティを築く事が非常に重要となっている。

コミュニティを築く事でキャラクターの掘り下げや、登場するキャラクターの多様化等が行われるため、ゲームと物語のどちらも効率良く回るという優れた特長となっている。また、最初のプレイでは全てを完走する事が困難なため、2週目以降を遊ぶプレイヤーへのモチベーションにもなっていると思う。

日常的な部分、また季節で挿入される学校イベント等も非常に丁寧に作られており、プレイヤーを飽きさせないようかなりの労力が払われている。これをそのまま北米で出したというのはかなりの驚きだ。何せ子供に(日本人が考える所の一般的な)弁当を渡したら親が学校から呼び出しをくらい、「他の子供に悪影響を与えますから止めて頂けませんか」と言われたというような話があるぐらいなので。スヌーピーを読んだ事がある人なら子供たちの紙袋を見た事があるだろう。あれが「一般的な」北米の弁当らしい。「bentouは実在するのか?」というスレッドを見たことがあるが、ああいうのは彼らには相当異質な物らしい。

主人公達は影の世界で戦うために街の中にある鉄の芸術家みたいな親父の作る装備や、ダンジョンで手に入れた装備で戦う。一応学生服の下に着ています。という設定になっているがこの辺は「キャッチ22なのでよろしく」という扱いになっている。主人公以外のキャラクターには各人に対応するペルソナ(特殊攻撃装備のようなもの)があり、各属性の利点と弱点がある。弱点は攻撃されると1ターンダウン状態となるため、他のRPGより属性への注意が必要であり、一般的な雑魚戦闘を興味深いものにしている。また、敵全員をダウン状態にすると一斉攻撃が可能で一部の敵を除き特大ダメージを与える事が可能というギミックがある。戦闘は非常にテンポ良く進み、完成度がとても高い。戦闘に関してはとても良くデザインが練られている。

ストーリーはジュブナイル的な物であり、特筆すべき点はそれほど無いが主要キャラクターについてはどの人物も丁寧に描かれている。また、主人公がRPGでは珍しい「冷静で天然」という変わった人物(開発者曰く、戦隊物のブルーを意識した)でRPGで良く見られる「熱血で馬鹿」と真逆の人物として描かれている。そのため、プレイヤーが置いて行かれる事が非常に少ないのが特筆すべき点だ。(いきなり叫んで誰かに斬りかかったりはしない。素晴らしい)ハンサム且つミステリアス(見た目は)で叔父曰く、「天然のジゴロ」だが確かにこれならモテるわな。という主人公だ。

ちなみにゲームの全体イメージカラーが黄色なのだが、これ北米で出すのは物凄い度胸のある話でそのまま出したのは驚きだ。北米では男子は「オカマになるな」という事を叩きこまれる。日本では協調性を叩きこむように、アメリカでは男子にマッチョたれ、と叩き込む(普通の生活から)。アメリカのティーンエージャーが良く「Fag(got)」という罵倒語を使用するのはそういう背景があるらしい。ネットゲームで彼らがああいう振る舞いをするのはマッチョたれ、という躾の成果なのかも知れない。まぁあくまでも聞いた話なので「君はマッチョになれと親に習ったのか?」とは聞けない。日本人だって、今の協調性をどこで習ったの?と聞かれても答えられないのと一緒だ。そういう社会だから。という事なのだろう。

…何の話だ。話を戻して音楽の話を。音楽は非常にテンポの早い曲が多くポップなゲーム内容に相応しい物が揃っている。珍しいのは歌入り(英語)の曲が多い事。里見の謎のように最後の方で歌が入るというのはあるのかも知れないが(いや、実際見た事は無いんだけど)、普通のシーンで歌入りの曲が多いというのは、レースゲームとペルソナ4ぐらいしか思い付かない。

Persona 4 - Your Affection

私としては普通RPGの戦闘で激しい曲が鳴るのは好きでは無い(飽きるので)が、ペルソナ4のボス戦の曲が好きだ。一般的には通常戦闘曲の方が人気あるらしい。なんだかんだで4周か5周か6周ぐらい遊んだのだが(なぜわからないかと言うと、一回データを消してまた始めたから)面白い作品だった。PS Vitaで増補版が出ているそうだが、増補版目当てに買いたいという程ではない…私には携帯機は敷居が高い。でも本体を買ったら必ず買うと思う。何やらアニメーションが追加されているらしいのだが、私はゲーム内のキャラクターを使ったカットシーンの方が好きだなぁ。

年に1回ぐらい発作的にRPGを遊びたくなる時がある。まぁ大体そういう時に買ったゲームは悲惨な結果を生む事が多かったが、このゲームは違った。今は輝日東にいるので、因幡市に行くのはまた今度…でも年内には多分行くような気がする。

[Persona 4] Hiimdaisy Comic Dub (Full Version)
注意:ネタバレアリ
Hiimdaisyという人の書いたWebパロディ漫画にファンが音声等を付けた物らしい。堂島の扱いが酷い。

2013年1月31日木曜日

エロゲー文化研究概論

というタイトルの本が発売された。発行は総合科学出版、堅そうな感じの名前だな、とか思って本を開いて「大好評発売中」という名目で4冊程紹介されている書籍を見て固まった。ちなみに製本はよく出来ており、紙の質も高い。大昔のパソコン関係の書籍で使われている紙は雑誌よりちょっとマシぐらいの代物だったので高級感がある。

5年単位で区切る形で2012年までのエロゲーとその周辺の時代について解説が行われている力作だ。255ページ全て使っても全ての作品について書ける訳ではないため、読んだ人にすると「あれが載ってない」とか「これが載ってない」みたいな事もあるのだろう。(私の場合「ようこそシネマハウスへ」がほとんど触れられていない、あとは「レッスルエンジェルス3」とか)調べ物をした人なら大体経験していると思うが、ちょっと前まで簡単に調べられた事がいつの間にか、どこにも情報が無い。みたいな事は現在増えている(多分、これからも増え続けてゆくのだろう)なので今、この段階で調査した結果を紙媒体で出版する事には意義があると思う。2000年代から一気に遊んだ事のある作品が無くなったのを見て自分が「ああ、ここで脱落したんだな」とわかる所が興味深かった。この頃からシナリオが加速的に肥大して全然ついていけなくなった。率直に言うと読むのが苦痛になった。とは言え、考える事は多くなった。「自分はAdvに何を求めているのだろう?」「どこに苦痛を感じているのか?」とか色々考えたと思う。だからそこから学んだ事も多かった様に感じている。

…脱線したので戻る。同級生の画面写真がWindows版だとか(何か理由があるのかもしれんけど)気になる所もあるが、画像関係の許諾って恐ろしく面倒で(昔は問い合わせても返事一つ来ない事が多かったとか聞く)その中でこれだけ揃えたのはかなりの苦労があったのかも知れない。Emmyが工画堂スタジオ製作というのは知らなかった。実際遊んだ事は無いのだが、私が読んだ限りの記事で全てEmmyと会話の問題を指摘していたのを思い出す。何にしてもこの本は力作だ。これだけ調べて文章起こすのは相当大変だったと思う。現在進行形の方もいるだろうし、私のように脱落した奴もいるのだろうが、それでも読めば思い出す事も多いと思う。

2013年1月28日月曜日

Ultima V

Ultima V(1988)

ゲームを遊ぶ者なら誰しも「朝から晩まで1日中そのゲームの事を考えている」という経験があると思う。
私はそういう経験をしたゲームは多分20本ぐらいしか無いと思うのだが、一番長期に渡ってその経験をしたのはUltima Vだ。

Ultima Vの概略はこんな感じだ。

「大陸で巨大な地下世界が見つかり、王自ら組織した探索隊が行方不明となった。王の替りに摂政が国政を司るが、彼は暗黒の力に支配され圧政を始めた。王を探し、国を圧政から救うべく主人公が召喚を受ける」

UltimaはApple ][から始まり、VIからIBMーPCがオリジナルとなる。発売当時でも既にApple ][は全盛期をとっくに過ぎてたが、「あの」Ultimaの最新作なため、凄い話題の作品だった。Apple ][を持っていなければ当然遊べない訳でログインの安田均の記事とか読んで「うわー!遊んでみてー!」とか思っていた訳だ。

で、当時私が所有していたX68000で移植版が出た。前作Ultima IVの移植は壮絶な代物だったが(IIよりはマシだが)Vはもう会心の出来と言っても差し支えない物だった。翻訳は金井哲夫が手がけていたらしく、質も非常に高かった(後年、オリジナル版を遊んで全編古語英語で驚いた)のもあり、スリリングな序盤から徐々に旅の仲間が集結してゆく展開は素晴らしいものだったと思う。

Ultimaシリーズではそれまでゲーム内で永久死が描かれる事が無かったと思うが、Vでは初めて摂政に捕まると仲間の命か、秘密の呪文を教えるか選べという選択肢があり、仲間の死を選んだ場合そのキャラクターは永久に(Vの中では)消えてしまう。一度だけ失敗して捕まった時にこれを経験した時には相当なショックだった。最もその事実は既に記事を読んで知っていたのだが、仲間が自分のミスで消えてしまうのはかなりの痛みだった。正直、この時に失ったのが仮にVから登場したキャラクターならそれほどショックでは無かったと思う。その後はもう偏執狂的に準備を行うようになり、二度とそのような事態を招くことは無かったもののどんな時でも頭からその恐怖が消える事は無かった。

Ultima VI(IIIを除く)まで、Ultimaは現代人である主人公がファンタジー世界からの召喚に応じ目的を達成した後、元の世界に帰るという筋書きになっている。つまりUltimaを開始するのは旅の始まりであり、旅の続き(Journey Onward)となっている。「Journey Onwardって言うのが良いよな」とは友人の弁だが、確かにブリタニアの旅はどんなに居心地が良かろうが旅である(そこで死ななければ)訳でいつか終わりが待っている訳だ。プレイしている最中は全くそれに気が付かなかった。漫画家の大島やすいちが娘からなぜラスボスの城にいかないのかを聞かれ「この城に乗りこんだら…冒険が終わっちゃうじゃないか…」と言ったそうだが笑えると同時に共感する人も多いのでは無いだろうか。Ultima Vの終わりは非常に物悲しい終わり方をする。今でも時々思い出して「ああ、物悲しい終わりだったな」と思う。エンディングを見た時には既に夜中になっており、真っ暗な部屋でブリタニアに想いを馳せていたのを思い出す(まぁそのうち寝て起きたら朝だった)。

その後、Ultima Vを立ちあげてもプレイする気には中々なれず、その後IBM-PC版を入手したものの結局ほとんどプレイする事無く現在に至る。Ultimaシリーズの最高傑作がどれなのか意見が分かれる所だろう。私はIVを遊んだ事が前提になっているとは言え、Vが最高傑作だと思う。それでもVのブリタニアに戻る事は出来なかった。当時は何故なのかわからなかったが、今はわかる。旅は終わったのだ。