Victoria3のSteamレビューで「プレイヤーの操作する場所によってシミュレートのレイヤーが異なり遊んでいて凄い違和感がある」という記述をされていた方が居て、ああ、なるほど確かにそういう違和感がVictoria3にはあった。何故そんな事が起こるのだろう?という疑問が私にはあったのだが、一つ思いついたのがPCの上昇したスペックによるものなのでは無いかと言う事だ。
コンピュータ黎明期、PCのスペックは現在からみれば非常にお粗末だった。だからデザイナーは「こうこう、こういう事をしたい」を完全に実現するのはほぼ不可能だった。結果的に取捨選択や抽象化を行わざるを得なかった…というのは別にコンピュータゲームだったから、ではなく、人間が作る(そして遊ぶ)にあたって、取捨選択と抽象化は絶対に必要だった。アナログゲームはそうやってデザインされているし、ウォーゲームもそうだった(ルールが肥大化し、難易度も急上昇するに従って下火になった。コンピュータの影響も大きいだろう)し、プレイアビリティというのは無視出来ない要素なのだと思う(私としてはプレイアビリティを大きく損なうようなデザインはそもそも失敗していると思っている)。だからコンピュータのスペックがお粗末だった頃はコンピュータゲームをデザインするもの全員が取捨選択と抽象化を行っていた。…それさっきも言ったな。
で、時代が流れ2025年現在(書いている時はまだ2025年だった)、リソースさえあれば取捨選択も抽象化も必要無くなった。詳しくは知らないが、高級なスマートフォンならちょっと前のPCよりもスペックが高いんじゃないだろうか?だから現在のデザインには先ほど連呼したどちらも欠けている。だって削る必要が無いのだから。また、インディーズでは何かゲームが流行るとそれ用のAsset Packというのが登場するのだそうだ(SoulLikeだの、SurviviorLikeだの、StSLikeだの)。もちろん全てが似通うって事は無いにせよ、プレイヤーが媒体(Webの記事なり、Storeの販売サイト等)で似たようなデザインの日常的に目にする訳だ。その結果、自社IPとして2を出せるような売り上げの作品が出した場合にもう見向きもされない(その場所に大量の模倣作があるから)という事態も珍しく無い。これの対策が現在良く見られるこまめなアップデートや(売り上げが見込まれるのなら)大型アップデートという事らしい。
デザインを2つに分けるとしたら、マクロとミクロとなる。昔はスペックの制約でマクロしか選べなかった。極小のリソースの中で1個師団の残り人数だの、軽機関銃の数だのを扱う事は不可能だった。結果的にマクロからミクロに向けたデザインとなり、当たり前だがこれだとミクロまで到達する事は出来ない。スペック上の壁があるからだ。16bit時代辺りから(無謀にも)ミクロからのデザインが生まれだし現在に至る。現在の64bit時代では逆にマクロの方が珍しい。結果的に遊んでいてデザイナーが何を考えてデザインしたのか理解に苦しむゲームが多くなった。これが結果的に〇〇Likeを大量に生む理由であり、舞台が何であれ(何故なら表現したいのは〇〇「Like」の部分だから)似たようなゲーム、似たような表現…とはいえ、元になったゲームのパイは巨大な訳でLikeには一定の需要があるらしい。だったらもうマクロの視点要らないよな。要らなさ加減で言えばJRPGの世界設定ぐらいなのでマクロを求める人は居ないのだろう。
ただ、私はマクロの視点って重要だと思うのですよ。何故重要かと言うと、ミクロの視点から始めると極端な事を言えば題材に一切関係が無いからだ。例えば〇〇Likeのゲームを作ったとして、それがファンタジーだろうが、スチームパンクだろうが、SFだろうが別に何も変わらない。弾がファイアボールだろうが、蒸気式フリントロックピストルだろうが、ブラスター弾だろうが、別にそれがプレイフィールに一切影響しない。それのどこに新鮮さがあるのだろうか?まぁプレイヤーは新鮮さを求めていないのかも知れない。Steamのフォーラムでも何か作品があったら、「もっとこれみたいな作品無いの?」みたいな書き込みを目にしない事は無い。
…どれだけ脱線するのか。題材によるデザインへの働きかけってのは間違いなくある(無いんだったらそのデザインがクソって事だ。)。題材を選ぶのはもっとも安価なデザイン対価だ。イタリア内戦とかというIPは存在しない。もちろんファンタジーとかでも良いのだろうけど、既存の事象の方が(資料集めとかを除けば)楽だろう。調べれば興味深い内容とかも見つけられる。まぁそういうの面倒だ、とか興味が無いのなら〇〇Likeを作っていれば良いんじゃないですかね。と投げやりに終わる。
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