2013年3月13日水曜日

Pyrotechnica

LGR - Pyrotechnica - DOS PC Game Review

製作はPsygnosisと言っただけで「ああ…」という反応もする人が多いと思うが…まぁそれで当たり。

1995年に発売になったゲームだが、前年にはDescentが発売されておりこの作品のインパクトというのはほとんど無かった。どれぐらいインパクトが無かったかと言うと、私が当時買っていたPC Gamer(UK)の体験版を遊んで店に注文したら「問屋から扱ってませんって回答でしたわ」というぐらいで、その後も幾つかUK関係の店に当ってみたものの、結局買うことが出来なかったソフトだった。

それから数年後、東京に行った時にソフマップに中古が¥2,980円で売っていて購入した。ちなみにパッケージのデザインが結構好きなのだが、今まで同意を得たことが無い。メカデザインがちょっと…というのは確かにその通りだと思う。でもその辺もPsygnosisらしいという気もする。

星の採掘権を巡る戦いで司令官が囚われて救助する…という内容らしい。ゲーム内容について正直良く覚えていないのだが、攻撃オブジェクトのほとんどに光源が設定されており、飛び交う弾で通路が照らされたり、着弾した弾が周辺を明るく照らすなど、デジタル花火みたいな光景が印象的だった。

Pyrotechnicaという作品はゲームとしてほとんど評価を受けなかった訳だが、映像表現と音楽でプレイした人の印象に強く残った作品なのだと思う。全11曲(だったと思う)は全て体験版に入っていたので聞ける曲は製品版では増えなかったが、GUSに対応していたのは製品版だけだったと思うので、その辺の価値はあったのだと思う。多分。
 Pyrotechnica intro

Pyrotechnica BGM01

 Pyrotechnica BGM02

 
 Pyrotechnica BGM03

 まだソフマップのシールが貼られた箱が本棚に刺さっている。手に入れた時は思わず「おおっ」と口に出すぐらい嬉しかった。(そして東京の中古市場の値段の高さに驚いた。定価を超えたものとか、数万のプレミアがついた作品が売られていた)このゲームとDescent、どちらがデザイン的に価値がありますか?という話になったらほぼ100%がDescentを選ぶのだと思う。それでも手に入れた本人にとってしか持ち得ない価値というものがあるのだと思う。その価値を比較しようとするのは野暮というものなのかも知れない。

Blade of Darkness

黒の剣では無く(あちらも私は相当好きですが)スペインで作られたアクションRPGがBlade of Darknessだ。北米ではSeverance: Blade Of Darknessというタイトルで発売された。つい最近、GOGで販売が開始された。マルチランゲージ版なので、こちらはヨーロッパ版になるのだと思う。

Blade The edge of darkness Juego Español Trailer

北米版でもヨーロッパ版でもタイトル以外に内容は変わらない。特筆すべきは卓越した残虐表現と当時としては非常に豊かなライティング表現、そして男性コーラスを使用した楽曲の迫力だ。女性コーラスを使用したゲーム音楽は多いが、ほぼ男性コーラスのみという作品は珍しいと思う。

Rebel Act Studiosは元々ゲーム会社では無かったらしく、CADとかを扱っていた会社らしい。(当時のフォーラムにはスタッフによるそういう書き込みがされていた)で、初めて製作されたゲームがBlade(開発時タイトル)というタイトルで初めてのゲームという事もあって開発は相当難航したらしく、2000年の発売予定だったが実際に発売されたのは2001年だった。契約の関係からか、開発が完成する前に販売されてしまったせいで初期のバージョンは品質が非常に低かった。最終的にはパッチで安定したゲームにはなったものの、序盤を除けばゲームとしてバランスは常に崩壊している状態で、悪いことに終盤に行くに従って更に悪化してゆく。

デザインはナムコのソウルエッジに影響を受け、通常のスイング振り分けの他にコマンド入力による必殺技があるのだが、必殺技のダメージが敵の強さに合わせてどんどんインフレしてゆくのに比べ、通常の攻撃がほとんど追いつかない。必殺技は装備している武器に固有の物で、アンロックはレベルアップにより行われる。つまりレベルアップがおいついていないと大して効果の無い攻撃を延々行なって倒す事となり、必殺技を使えば一、二発でケリがつくというレベルデザインとなっていた(調整する時間が無かったという事らしい)。結局これは修正されなかった。また、防御した際に盾等にダメージを受ける(鎧はダメージを受けても壊れる事は無い)ので、結構簡単に矢や敵の攻撃で壊れてしまう。まぁそれはそれほどの問題では無いのかも知れないが両手用の武器を持っている際、武器がダメージを受ける。実際、ゴーレムのパンチを長剣でガードした際に一撃で剣は真っ二つになって折れて、思わず「うおぉ!」と声が出るぐらい驚いた。予備の剣に切り替えて苦労してなんとかゴーレムは倒したものの、武具の耐久力は10倍ぐらいあっても良かったのでは無いかと思う。

発売後は良くある流れで開発陣と経営陣と意見がぶつかり、最終的にはRebel Act Studiosは解散してしまう。そのゴタゴタの最中にもXbox版の発売が予告され、イマジニアにも日本語PC版の発売が告知された。もちろん両方ともいつの間にか消え去ってしまった。その後、Mercury Steam Entertainment S.L.という会社が作られ、Clive Barker's Jericho、Castlevania: Lords of Shadow等を作ったそうだ。

と、まぁ問題の満載されたゲームな訳だが、松明が作り出すコントラストの強い陰影!コントになっていない残虐表現!力強い男性コーラスの生み出す楽曲の迫力!独創的なモンスターのデザイン!(特にバンパイアとキメラ)と何度もエクスクラメーションマークを付けたくなるぐらいインパクトの強い作品だった。
Severance: Blade of Darkness Main Theme ( full)

ゲームにもうスペックは必要無い?

「ゲームは今の性能で十分です」なんて話は10年以上からある訳だけど、未だにそういう事言う人がいる。
なぜ?と問うと返ってくる答がこれ。

「だって画面が綺麗になるだけじゃないですか」

馬鹿か。とこれだけで終わってしまうのも何なので適当に続ける。
昔のグラフィックの方が味があった、まぁこれに関しては否定しない。私もPC-88のMULEとAtari800のMULEでどっちが味があるか?と聞かれたらAtari800だと思う。(でもPC-88でAtari800の味を出すのは根本的に無理だろ)

「昔のグラフィックの方が想像の余地があった」

そうか?今のゲームでも想像の余地は十分あると思う。この辺は好みがわかれる所だが、腹が立つのはグラフィックに「昔はこの程度で良かった」みたいな事を言われる事だ。別に昔のドットを打ってた人も「8ビットだからこれぐらいでいいだろ」なんて事をやってた訳ではなく、それこそ心血を注ぐ打ち方をしていた。今だって大変な手間を掛けてゲームを作っている方々がいるわけだが、昔は楽に作ってた訳では無い。どうしてそんな失礼な物言いが出来るのか不思議に思う。「想像の余地のあった」グラフィックも別に想像の余地を意図して作ってた訳では無いだろう。

グラフィックがゲームの全てではない。そのゲームに含まれているあらゆるものがゲームの構成要素だろう。昔はマニュアルだって立派なゲームの一部だった。今はそうでは無くなったが、替りに操作系は非常に安定した訳だし当時に比べればインターフェイスも相当洗練されていると思う。まぁ何よりもグラフィックはゲームにおいて重要な要素の一つだが、ゲームのスペックが使われるのはグラフィックだけではないというのに何故か「向上したスペック=グラフィックの向上」という図式が出来上がっている。AIだって相当なスペックを使うのだし、メモリに余裕が出来れば数々のデザイナーが挑戦して敗れ去ったゲームにおける即興性が可能になるのかも知れない。

私の場合、ガキの頃に夢見た未来のゲームは現在既に過去の話になっており、この先どう進化するのだろうか?と思う事がある。スペックが必要無いと考える人達が何を考えているのか理解できない。過去のゲームと同じ物を遊びたいなら過去のゲームを遊べばいいのでは無いのか?グラフィックしか向上していない?一体どこを見ているのか。私が例えばXbox360やPS3の頃からゲームを始めていたとしたらそう感じるのだろうか。私からすると今のゲームは数十年の都市の変化を早回しで見ているような感じだ。車が無人になったり空を飛んだり、建物にチューブが這うのを見られるまで生きているのかはわからないが、デザインはどこまで進化するのだろう?動的な世界は可能になるのだろうか?感情を扱う事は?もっと優れたデバイスが登場する?ディスプレイの進化は?幾らでも進化の道筋はある。有限がデザインの力を引き出すというのは事実だと思う。だが、スペックが十分にあれば同様にデザインの力を引き出す事も可能なのでは無いだろうか。

全てのゲームがスペックを使い果たす必要は無い。1ドット単位の調整が可能だったり、物理エンジンを搭載したテトリスを喜ぶ人間はあまり居ないだろう。シド・マイヤーは子供の頃、地図を見てゲティスバーグの戦場を想像したと語っていた。もしそういう物をゲームで体験できるのだとしたらスペックには意味があるのだと思う。Half Lifeで崩壊が起こる中、研究所を駆け抜けた時。Read Dead Redemptionで指名手配犯を捕らえ、追手と銃撃戦を繰り広げた時。F.E.A.R.でアサルトライフルの銃弾が敵のヘルメットに当たり火花を散らした時。様々な瞬間をそのスペックが実現してくれた。いつかはネクサス6のように「タンホイザーゲートの近くで闇の中に輝くCビーム」を見られるのかも知れない。だから画面が綺麗になるだけでも意味があるのだと思うし、テルモピュライやモンテカッシーノを体験できるのなら「画面が綺麗になるだけ」という事は無いだろう。