「ゲームは今の性能で十分です」なんて話は10年以上からある訳だけど、未だにそういう事言う人がいる。
なぜ?と問うと返ってくる答がこれ。
「だって画面が綺麗になるだけじゃないですか」
馬鹿か。とこれだけで終わってしまうのも何なので適当に続ける。
昔のグラフィックの方が味があった、まぁこれに関しては否定しない。私もPC-88のMULEとAtari800のMULEでどっちが味があるか?と聞かれたらAtari800だと思う。(でもPC-88でAtari800の味を出すのは根本的に無理だろ)
「昔のグラフィックの方が想像の余地があった」
そうか?今のゲームでも想像の余地は十分あると思う。この辺は好みがわかれる所だが、腹が立つのはグラフィックに「昔はこの程度で良かった」みたいな事を言われる事だ。別に昔のドットを打ってた人も「8ビットだからこれぐらいでいいだろ」なんて事をやってた訳ではなく、それこそ心血を注ぐ打ち方をしていた。今だって大変な手間を掛けてゲームを作っている方々がいるわけだが、昔は楽に作ってた訳では無い。どうしてそんな失礼な物言いが出来るのか不思議に思う。「想像の余地のあった」グラフィックも別に想像の余地を意図して作ってた訳では無いだろう。
グラフィックがゲームの全てではない。そのゲームに含まれているあらゆるものがゲームの構成要素だろう。昔はマニュアルだって立派なゲームの一部だった。今はそうでは無くなったが、替りに操作系は非常に安定した訳だし当時に比べればインターフェイスも相当洗練されていると思う。まぁ何よりもグラフィックはゲームにおいて重要な要素の一つだが、ゲームのスペックが使われるのはグラフィックだけではないというのに何故か「向上したスペック=グラフィックの向上」という図式が出来上がっている。AIだって相当なスペックを使うのだし、メモリに余裕が出来れば数々のデザイナーが挑戦して敗れ去ったゲームにおける即興性が可能になるのかも知れない。
私の場合、ガキの頃に夢見た未来のゲームは現在既に過去の話になっており、この先どう進化するのだろうか?と思う事がある。スペックが必要無いと考える人達が何を考えているのか理解できない。過去のゲームと同じ物を遊びたいなら過去のゲームを遊べばいいのでは無いのか?グラフィックしか向上していない?一体どこを見ているのか。私が例えばXbox360やPS3の頃からゲームを始めていたとしたらそう感じるのだろうか。私からすると今のゲームは数十年の都市の変化を早回しで見ているような感じだ。車が無人になったり空を飛んだり、建物にチューブが這うのを見られるまで生きているのかはわからないが、デザインはどこまで進化するのだろう?動的な世界は可能になるのだろうか?感情を扱う事は?もっと優れたデバイスが登場する?ディスプレイの進化は?幾らでも進化の道筋はある。有限がデザインの力を引き出すというのは事実だと思う。だが、スペックが十分にあれば同様にデザインの力を引き出す事も可能なのでは無いだろうか。
全てのゲームがスペックを使い果たす必要は無い。1ドット単位の調整が可能だったり、物理エンジンを搭載したテトリスを喜ぶ人間はあまり居ないだろう。シド・マイヤーは子供の頃、地図を見てゲティスバーグの戦場を想像したと語っていた。もしそういう物をゲームで体験できるのだとしたらスペックには意味があるのだと思う。Half Lifeで崩壊が起こる中、研究所を駆け抜けた時。Read Dead Redemptionで指名手配犯を捕らえ、追手と銃撃戦を繰り広げた時。F.E.A.R.でアサルトライフルの銃弾が敵のヘルメットに当たり火花を散らした時。様々な瞬間をそのスペックが実現してくれた。いつかはネクサス6のように「タンホイザーゲートの近くで闇の中に輝くCビーム」を見られるのかも知れない。だから画面が綺麗になるだけでも意味があるのだと思うし、テルモピュライやモンテカッシーノを体験できるのなら「画面が綺麗になるだけ」という事は無いだろう。
2013年3月13日水曜日
2013年2月2日土曜日
ペルソナ4
2/2 訂正
以下、因幡市の記述は私の勘違いで実際には「田稲羽市」。
Gametrailers.comによるレビュー
このゲームがどういうゲームなのか知ったのは、Gamespotの2009年ゲームオブザイヤー関連の記事だったと思う。機種別でPlaystation2の大賞を取った…はず。対象の記事が見つからないため、記憶で書くが「既に物置に仕舞ってるPS2で埃を吹き飛ばして遊ぶ価値がある」みたいな評価だった。ちなみに北米ではShin Megami Tensei: Persona 4というタイトルで発売され、後で調べると珍しい名前等のローカライズを極力行わないという事で話題にもなったらしい(当時、日本のゲームで海外で名前等が変わるのは一般的な話だった)。
その2009年年末の私は年越しするゲームを探してインターネットを見ていた。で、その日の内にペルソナ4を買ってきた。概略はこんな感じ。
「両親の仕事の都合で主人公は1年間叔父の家で生活する事になる。そこで主人公は怪奇的な連続殺人事件に巻き込まれてゆく。」(自分の説明の下手さにちょっと感動した)
主人公は大都市の出身であるが、舞台となる因幡市はやや寂れつつある中規模都市で商店街はシャッター通り化が進み、人口も減少傾向にある。もう一つの世界は現実世界と対になる影の世界で、主人公とその友人たちは事件の謎を追いつつ、日々を過ごす事となる。
序盤の1時間ぐらいはほぼ全て状況の説明に費やされる。正直、初めて遊んだ時はここで嫌になって止める寸前だった。それでもなんとか乗りきれたのは興味深い舞台設定、キャラクターの個性、世界観にあったバランスの取れた音楽にあると思う。ただ、今遊んでも序盤は恐ろしくダルいので2週目以降、カットできても良かったのではと思う。
本編が始まると、突然自由度が上昇し以下の行動が選択可能になる(但し、全てがすぐに可能になる訳ではない)
- 事件解決(あるいはレベルアップ)のために影の世界のダンジョンに通う
- 主人公の日常生活を行う(部活、学業、飲食、バイト等)
- イベントを実施し、コミュニティを強化する
コミュニティを築く事でキャラクターの掘り下げや、登場するキャラクターの多様化等が行われるため、ゲームと物語のどちらも効率良く回るという優れた特長となっている。また、最初のプレイでは全てを完走する事が困難なため、2週目以降を遊ぶプレイヤーへのモチベーションにもなっていると思う。
日常的な部分、また季節で挿入される学校イベント等も非常に丁寧に作られており、プレイヤーを飽きさせないようかなりの労力が払われている。これをそのまま北米で出したというのはかなりの驚きだ。何せ子供に(日本人が考える所の一般的な)弁当を渡したら親が学校から呼び出しをくらい、「他の子供に悪影響を与えますから止めて頂けませんか」と言われたというような話があるぐらいなので。スヌーピーを読んだ事がある人なら子供たちの紙袋を見た事があるだろう。あれが「一般的な」北米の弁当らしい。「bentouは実在するのか?」というスレッドを見たことがあるが、ああいうのは彼らには相当異質な物らしい。
主人公達は影の世界で戦うために街の中にある鉄の芸術家みたいな親父の作る装備や、ダンジョンで手に入れた装備で戦う。一応学生服の下に着ています。という設定になっているがこの辺は「キャッチ22なのでよろしく」という扱いになっている。主人公以外のキャラクターには各人に対応するペルソナ(特殊攻撃装備のようなもの)があり、各属性の利点と弱点がある。弱点は攻撃されると1ターンダウン状態となるため、他のRPGより属性への注意が必要であり、一般的な雑魚戦闘を興味深いものにしている。また、敵全員をダウン状態にすると一斉攻撃が可能で一部の敵を除き特大ダメージを与える事が可能というギミックがある。戦闘は非常にテンポ良く進み、完成度がとても高い。戦闘に関してはとても良くデザインが練られている。
ストーリーはジュブナイル的な物であり、特筆すべき点はそれほど無いが主要キャラクターについてはどの人物も丁寧に描かれている。また、主人公がRPGでは珍しい「冷静で天然」という変わった人物(開発者曰く、戦隊物のブルーを意識した)でRPGで良く見られる「熱血で馬鹿」と真逆の人物として描かれている。そのため、プレイヤーが置いて行かれる事が非常に少ないのが特筆すべき点だ。(いきなり叫んで誰かに斬りかかったりはしない。素晴らしい)ハンサム且つミステリアス(見た目は)で叔父曰く、「天然のジゴロ」だが確かにこれならモテるわな。という主人公だ。
ちなみにゲームの全体イメージカラーが黄色なのだが、これ北米で出すのは物凄い度胸のある話でそのまま出したのは驚きだ。北米では男子は「オカマになるな」という事を叩きこまれる。日本では協調性を叩きこむように、アメリカでは男子にマッチョたれ、と叩き込む(普通の生活から)。アメリカのティーンエージャーが良く「Fag(got)」という罵倒語を使用するのはそういう背景があるらしい。ネットゲームで彼らがああいう振る舞いをするのはマッチョたれ、という躾の成果なのかも知れない。まぁあくまでも聞いた話なので「君はマッチョになれと親に習ったのか?」とは聞けない。日本人だって、今の協調性をどこで習ったの?と聞かれても答えられないのと一緒だ。そういう社会だから。という事なのだろう。
…何の話だ。話を戻して音楽の話を。音楽は非常にテンポの早い曲が多くポップなゲーム内容に相応しい物が揃っている。珍しいのは歌入り(英語)の曲が多い事。里見の謎のように最後の方で歌が入るというのはあるのかも知れないが(いや、実際見た事は無いんだけど)、普通のシーンで歌入りの曲が多いというのは、レースゲームとペルソナ4ぐらいしか思い付かない。
Persona 4 - Your Affection
私としては普通RPGの戦闘で激しい曲が鳴るのは好きでは無い(飽きるので)が、ペルソナ4のボス戦の曲が好きだ。一般的には通常戦闘曲の方が人気あるらしい。なんだかんだで4周か5周か6周ぐらい遊んだのだが(なぜわからないかと言うと、一回データを消してまた始めたから)面白い作品だった。PS Vitaで増補版が出ているそうだが、増補版目当てに買いたいという程ではない…私には携帯機は敷居が高い。でも本体を買ったら必ず買うと思う。何やらアニメーションが追加されているらしいのだが、私はゲーム内のキャラクターを使ったカットシーンの方が好きだなぁ。
年に1回ぐらい発作的にRPGを遊びたくなる時がある。まぁ大体そういう時に買ったゲームは悲惨な結果を生む事が多かったが、このゲームは違った。今は輝日東にいるので、因幡市に行くのはまた今度…でも年内には多分行くような気がする。
[Persona 4] Hiimdaisy Comic Dub (Full Version)
注意:ネタバレアリ
Hiimdaisyという人の書いたWebパロディ漫画にファンが音声等を付けた物らしい。堂島の扱いが酷い。
2013年1月31日木曜日
エロゲー文化研究概論
5年単位で区切る形で2012年までのエロゲーとその周辺の時代について解説が行われている力作だ。255ページ全て使っても全ての作品について書ける訳ではないため、読んだ人にすると「あれが載ってない」とか「これが載ってない」みたいな事もあるのだろう。(私の場合「ようこそシネマハウスへ」がほとんど触れられていない、あとは「レッスルエンジェルス3」とか)調べ物をした人なら大体経験していると思うが、ちょっと前まで簡単に調べられた事がいつの間にか、どこにも情報が無い。みたいな事は現在増えている(多分、これからも増え続けてゆくのだろう)なので今、この段階で調査した結果を紙媒体で出版する事には意義があると思う。2000年代から一気に遊んだ事のある作品が無くなったのを見て自分が「ああ、ここで脱落したんだな」とわかる所が興味深かった。この頃からシナリオが加速的に肥大して全然ついていけなくなった。率直に言うと読むのが苦痛になった。とは言え、考える事は多くなった。「自分はAdvに何を求めているのだろう?」「どこに苦痛を感じているのか?」とか色々考えたと思う。だからそこから学んだ事も多かった様に感じている。
…脱線したので戻る。同級生の画面写真がWindows版だとか(何か理由があるのかもしれんけど)気になる所もあるが、画像関係の許諾って恐ろしく面倒で(昔は問い合わせても返事一つ来ない事が多かったとか聞く)その中でこれだけ揃えたのはかなりの苦労があったのかも知れない。Emmyが工画堂スタジオ製作というのは知らなかった。実際遊んだ事は無いのだが、私が読んだ限りの記事で全てEmmyと会話の問題を指摘していたのを思い出す。何にしてもこの本は力作だ。これだけ調べて文章起こすのは相当大変だったと思う。現在進行形の方もいるだろうし、私のように脱落した奴もいるのだろうが、それでも読めば思い出す事も多いと思う。
2013年1月28日月曜日
Ultima V
Ultima V(1988)
ゲームを遊ぶ者なら誰しも「朝から晩まで1日中そのゲームの事を考えている」という経験があると思う。
私はそういう経験をしたゲームは多分20本ぐらいしか無いと思うのだが、一番長期に渡ってその経験をしたのはUltima Vだ。
Ultima Vの概略はこんな感じだ。
「大陸で巨大な地下世界が見つかり、王自ら組織した探索隊が行方不明となった。王の替りに摂政が国政を司るが、彼は暗黒の力に支配され圧政を始めた。王を探し、国を圧政から救うべく主人公が召喚を受ける」
UltimaはApple ][から始まり、VIからIBMーPCがオリジナルとなる。発売当時でも既にApple ][は全盛期をとっくに過ぎてたが、「あの」Ultimaの最新作なため、凄い話題の作品だった。Apple ][を持っていなければ当然遊べない訳でログインの安田均の記事とか読んで「うわー!遊んでみてー!」とか思っていた訳だ。
で、当時私が所有していたX68000で移植版が出た。前作Ultima IVの移植は壮絶な代物だったが(IIよりはマシだが)Vはもう会心の出来と言っても差し支えない物だった。翻訳は金井哲夫が手がけていたらしく、質も非常に高かった(後年、オリジナル版を遊んで全編古語英語で驚いた)のもあり、スリリングな序盤から徐々に旅の仲間が集結してゆく展開は素晴らしいものだったと思う。
Ultimaシリーズではそれまでゲーム内で永久死が描かれる事が無かったと思うが、Vでは初めて摂政に捕まると仲間の命か、秘密の呪文を教えるか選べという選択肢があり、仲間の死を選んだ場合そのキャラクターは永久に(Vの中では)消えてしまう。一度だけ失敗して捕まった時にこれを経験した時には相当なショックだった。最もその事実は既に記事を読んで知っていたのだが、仲間が自分のミスで消えてしまうのはかなりの痛みだった。正直、この時に失ったのが仮にVから登場したキャラクターならそれほどショックでは無かったと思う。その後はもう偏執狂的に準備を行うようになり、二度とそのような事態を招くことは無かったもののどんな時でも頭からその恐怖が消える事は無かった。
Ultima VI(IIIを除く)まで、Ultimaは現代人である主人公がファンタジー世界からの召喚に応じ目的を達成した後、元の世界に帰るという筋書きになっている。つまりUltimaを開始するのは旅の始まりであり、旅の続き(Journey Onward)となっている。「Journey Onwardって言うのが良いよな」とは友人の弁だが、確かにブリタニアの旅はどんなに居心地が良かろうが旅である(そこで死ななければ)訳でいつか終わりが待っている訳だ。プレイしている最中は全くそれに気が付かなかった。漫画家の大島やすいちが娘からなぜラスボスの城にいかないのかを聞かれ「この城に乗りこんだら…冒険が終わっちゃうじゃないか…」と言ったそうだが笑えると同時に共感する人も多いのでは無いだろうか。Ultima Vの終わりは非常に物悲しい終わり方をする。今でも時々思い出して「ああ、物悲しい終わりだったな」と思う。エンディングを見た時には既に夜中になっており、真っ暗な部屋でブリタニアに想いを馳せていたのを思い出す(まぁそのうち寝て起きたら朝だった)。
その後、Ultima Vを立ちあげてもプレイする気には中々なれず、その後IBM-PC版を入手したものの結局ほとんどプレイする事無く現在に至る。Ultimaシリーズの最高傑作がどれなのか意見が分かれる所だろう。私はIVを遊んだ事が前提になっているとは言え、Vが最高傑作だと思う。それでもVのブリタニアに戻る事は出来なかった。当時は何故なのかわからなかったが、今はわかる。旅は終わったのだ。
2013年1月25日金曜日
Dishonored
Dishonored - Trailer [HD]
非常に難解な作品。
皇后暗殺の汚名を着せられたエージェントが謎の人物の助けを借りて汚名を晴らそう、という作品…なんだろうか。正直、あまり覚えていない。
投獄されて死を待つばかりとなっていた主人公は謎の人物の手引きで脱出に成功する。戦闘は主にステルスが中心で一般的なステルスキルから魔法のような能力まで様々な手段が使えるのが売り。技術的には恐ろしく高い水準の作品で、ローディングも恐ろしく早い。精密なグラフィックの割りには重さもほとんど感じられない。
チュートリアルが終わった辺りでかなり違和感があったのだが、正規のミッションが始まって違和感の原因がわかった。これは死が軽すぎるんじゃないのか?まるで果物にナイフを突き立てるように次々と殺してゆく。もちろん私が操作して殺してる訳だけど、なんというか…「ちわー仕事人でーす(by中野豪)」という感じでゲームプレイは盛り上がらない。どう感じているのかというと、チュートリアルが終わった段階で目的上殺しもするが避けた方が良いというメッセージが作品から伝わってくる。だが、プレイしていて殺害する事に一切罪悪感を感じない。別に殺している兵士だって悪人という訳では無いのだから(だってほんの少し前まで同じ勢力だった訳だし)殺すのは葛藤とかありそうなものなんじゃないのか?でも最初から躊躇無く殺せてしまう。街は死に溢れ、ネズミが走り回り、橋には死体が積み上げられている。でも別にどうとも思わない。例えば殺しまくって心が麻痺してくるとかなら話がわかるが、最初から何も感じないというのは凄い違和感を感じる。
相手を気絶させたり、非殺害の手段があれば違ったと思うのだが、最初から殺す気まんまんな主人公が不思議だ。つまり汚名を晴らしたいというモチベーションを全く感じない。Dishonoredというタイトルは誰を指しているのか?私は主人公がそう感じている作品なのかと思っていた。実際に遊ぶとどうやらそういう訳では無いらしい。一人称視点だからプレイヤーが感じる事が一番大切なのだろう。それはわかるが、少しはサポートしてもいいのでは無いだろうか。エモーショナルなシーンというのは個人的にはあまり好きでは無いが、これはあまりにドライすぎるように感じる。
Borderlands 2
Angry JoeによるBorderlands 2レビュー
う、ううぅ~ん?前作は1周するまでは楽しんだのだが、今回は…よくわからん。いや、面白さは1とほとんど変わりません。じゃあ何が違うの?と言われるとBadass Rank(アカウント全体に影響するBuff)とスキル全体の見直し…ぐらい?
「これはBorderlands 1.5だ」というユーザレビューがあったが、私からすると1.2aぐらいの変化しか感じない。1に比べると連射系の武器が弱すぎて全然使い物にならない気がする…装備レベルが上がったらまた違うのかも知れないが、前半はPistolが一番良い感じがする。前作より敵が硬い気がするなぁ。よりCoop向けの調整になったんだろうか。前作に比べると平均的な交戦距離が半分以下になり、銃撃戦自体は簡単になった。これはコンソールでの反応が大きいのだと思う。グラフィック等は前作よりブラッシュアップされているな、と感じるもののそれ以上の印象は無い。
キャラクターの持つ特殊攻撃は大幅に強化され、そのキャラクターを使う意義が大きく増えたと思う。前作ではスキルの関係で持つ武器もかなり制限されていたが、2ではかなり柔軟なシステムに変化した。ただ、敵が硬すぎて威力の低い武器は実質機能していないと思う。前作であった、数値的には弱いが状況で有効な武器になったりという経験が無かった。単に弱い武器と強い武器があるだけに感じられる。
インベントリシステムは…これは一体何をしたいのか?というぐらい意味不明な代物。決して前作でも使いやすい物では無かったが、直感的にもアウトで慣れても使いにくいという豪快さで、20年ぐらい前のRPGみたいなデザインだ。(装備する→ステータスを確認する→装備を外す→ステータスを確認する…)装備はレベルによる制限が大きいため、他のキャラクターに渡すという行為が機能する可能性はかなり低い。レベルがカンストすれば別だが、そうではない場合意図的に育てない限り機能していないと思う。
私が前作で楽しんだ要素として、銃撃戦とアイテムハンティングがあった。少なくとも今回はどちらも楽しいとは感じない。特殊攻撃が強すぎて通常攻撃が非常に弱く感じられる。なんというかこちらが有利な状況を生み出す方法が特殊攻撃しか無い。スコープを使って有利な状況を生み出すにも敵が硬すぎて機能していない。結局撃たれつつ撃ちあう乱戦がメインだ。別に乱戦があるのは問題無いのだが、ずぅーっと乱戦ばっかりだと飽きる。
良くできているゲームなのだとは思う。私にはそこから先の面白さが発見出来なかった。荒削りな分、前作の方が面白かったように感じられる。
2013年1月12日土曜日
古いゲームを遊ぶ「必要」があるのか?
私の場合、デザインの研究が趣味なので私に関して言えば「必要」だ。
だが、例えばゲーマーだとして他の人から「○○は遊んでおいた方がいい」とか言う話はよく出ると思うのだが、私は今現在どう思うかと言えば「4年以上前の作品は遊ばなくてもいい」と思う。
もちろん自分で興味があったら、どんな昔の作品でも遊んだ方がいい。自分の興味を満たす、欲求を満たす。これは非常に正しい話だと思う。グナイゼナウ曰く「Raum mögen wir wiedergewinnen, verlorene Zeit nie wieder」(場所は取り戻せるかも知れないが、失われた時間はそうではない)だそうなので、今遊びたいなら、あるいは今遊ぶ事ができるなら今遊んだ方がいい。それは新しいも古いも関係無い話だろう。
その時代のデザイン、その時代の技術を知る事は重要だ。だからできれば出た時期の内にその作品を楽しむ方が良いと私は思う。とり・みきだったと思うが、「遅れて来たファンはどうしても作品を批評的に見てしまう」(記憶ではこんな文章だった。確かビートルズかビーチボーイズの話だったかと)という言葉がある。その作品の持つ熱のような物はどうしても失われてしまう。これはどうしようも無い話だ。私はDeus Ex(2000)をプレイしたのは2004年頃(間違い。2003年3月)だったと思うが時間さえあれば夢中になって遊んでいた。仮に2012年に初めて遊んだらあそこまで面白く感じただろうか?それは無理だと思う。
例えばテーブルゲーム(将棋、チェスとか)ならその面白さをもっと継続する事が可能かも知れないが、デザイン的な部分で進化は無い(AIとかは進化できるだろう)「歩」がレベルアップして強くなるような将棋を出してもそれがデザイン的に進化か、というと4本足の動物を6本足にしたら1.5倍の速度が得られるかも。という代物だと思う。将棋を指したい人はそんな事を目的に改変された将棋をやらないだろう。サッカーでボールを2個に増やしたら!みたいのも普通興味を持たない(見てみたい気はする)だろう。
今のゲームも数年もすれば過去のゲームになってしまう。だから興味があるのだったら様々なジャンルに手を出すべきだし、そこから学ぶことも多いと思う。自分の遊ぶジャンルは○○です。みたいな事は後で幾らでもできるのだから新鮮な物を新鮮な内に遊ぶ方が良いのでは無いだろうか。アンテナは高く、敷居は低く…誰の言葉か忘れたが昔そんな話を聞いた記憶がある。私の場合、アンテナを高くする努力は続けているが、敷居に関しては自信が無い。それでも興味があったら出来る限り手の届く範囲なら手を広げる努力はしている。
人類で全てのゲームを見た人間は居ないし、これからも居ないだろう。 だから昔のデザインに興味が出たら地獄のハイウェイにようこそ。という事だ。
だが、例えばゲーマーだとして他の人から「○○は遊んでおいた方がいい」とか言う話はよく出ると思うのだが、私は今現在どう思うかと言えば「4年以上前の作品は遊ばなくてもいい」と思う。
もちろん自分で興味があったら、どんな昔の作品でも遊んだ方がいい。自分の興味を満たす、欲求を満たす。これは非常に正しい話だと思う。グナイゼナウ曰く「Raum mögen wir wiedergewinnen, verlorene Zeit nie wieder」(場所は取り戻せるかも知れないが、失われた時間はそうではない)だそうなので、今遊びたいなら、あるいは今遊ぶ事ができるなら今遊んだ方がいい。それは新しいも古いも関係無い話だろう。
その時代のデザイン、その時代の技術を知る事は重要だ。だからできれば出た時期の内にその作品を楽しむ方が良いと私は思う。とり・みきだったと思うが、「遅れて来たファンはどうしても作品を批評的に見てしまう」(記憶ではこんな文章だった。確かビートルズかビーチボーイズの話だったかと)という言葉がある。その作品の持つ熱のような物はどうしても失われてしまう。これはどうしようも無い話だ。私はDeus Ex(2000)をプレイしたのは2004年頃(間違い。2003年3月)だったと思うが時間さえあれば夢中になって遊んでいた。仮に2012年に初めて遊んだらあそこまで面白く感じただろうか?それは無理だと思う。
Deus Ex - Trailer(2000)
例えばテーブルゲーム(将棋、チェスとか)ならその面白さをもっと継続する事が可能かも知れないが、デザイン的な部分で進化は無い(AIとかは進化できるだろう)「歩」がレベルアップして強くなるような将棋を出してもそれがデザイン的に進化か、というと4本足の動物を6本足にしたら1.5倍の速度が得られるかも。という代物だと思う。将棋を指したい人はそんな事を目的に改変された将棋をやらないだろう。サッカーでボールを2個に増やしたら!みたいのも普通興味を持たない(見てみたい気はする)だろう。
今のゲームも数年もすれば過去のゲームになってしまう。だから興味があるのだったら様々なジャンルに手を出すべきだし、そこから学ぶことも多いと思う。自分の遊ぶジャンルは○○です。みたいな事は後で幾らでもできるのだから新鮮な物を新鮮な内に遊ぶ方が良いのでは無いだろうか。アンテナは高く、敷居は低く…誰の言葉か忘れたが昔そんな話を聞いた記憶がある。私の場合、アンテナを高くする努力は続けているが、敷居に関しては自信が無い。それでも興味があったら出来る限り手の届く範囲なら手を広げる努力はしている。
人類で全てのゲームを見た人間は居ないし、これからも居ないだろう。 だから昔のデザインに興味が出たら地獄のハイウェイにようこそ。という事だ。
LGR : Sid Meier's Civilization - DOS PC Game Review
有名な地獄の入口の一つ。「本物の」シド・マイヤーによるデザインのCivilization。そしてシリーズにして最高傑作だ。知らない人には当時どれだけの人間がそのデザインに驚いたか想像も付かないと思う。今遊んで当時と同じ感激を味わうのは不可能だ。今の新作もごく一部はクラシックになるだろう。だが、クラシックになる瞬間を味わえるのは発売されてほんの数年の間に過ぎない。だからそれを味わないというのは勿体無いのではないか、と思う。
今の作品を遊ばずに今の作品を評価する事は出来ないし、逆もそうだと思う。「昔の作品の方が優れている」そうだろうか。私は新しい作品にも見るべき部分は十分あると思う。同様に古い作品も「古いだけ」とは思わない。デザインが今でも光り輝く作品もある。古いゲームを遊ぶ「必要」は無い。それが貴方のゲーム人生を豊かにするかは誰にも保証出来ない。だから自分で確かめるしかない。
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