2013年1月12日土曜日

古いゲームを遊ぶ「必要」があるのか?

私の場合、デザインの研究が趣味なので私に関して言えば「必要」だ。
だが、例えばゲーマーだとして他の人から「○○は遊んでおいた方がいい」とか言う話はよく出ると思うのだが、私は今現在どう思うかと言えば「4年以上前の作品は遊ばなくてもいい」と思う。

もちろん自分で興味があったら、どんな昔の作品でも遊んだ方がいい。自分の興味を満たす、欲求を満たす。これは非常に正しい話だと思う。グナイゼナウ曰く「Raum mögen wir wiedergewinnen, verlorene Zeit nie wieder」(場所は取り戻せるかも知れないが、失われた時間はそうではない)だそうなので、今遊びたいなら、あるいは今遊ぶ事ができるなら今遊んだ方がいい。それは新しいも古いも関係無い話だろう。

その時代のデザイン、その時代の技術を知る事は重要だ。だからできれば出た時期の内にその作品を楽しむ方が良いと私は思う。とり・みきだったと思うが、「遅れて来たファンはどうしても作品を批評的に見てしまう」(記憶ではこんな文章だった。確かビートルズかビーチボーイズの話だったかと)という言葉がある。その作品の持つ熱のような物はどうしても失われてしまう。これはどうしようも無い話だ。私はDeus Ex(2000)をプレイしたのは2004年頃(間違い。2003年3月)だったと思うが時間さえあれば夢中になって遊んでいた。仮に2012年に初めて遊んだらあそこまで面白く感じただろうか?それは無理だと思う。

Deus Ex - Trailer(2000)

例えばテーブルゲーム(将棋、チェスとか)ならその面白さをもっと継続する事が可能かも知れないが、デザイン的な部分で進化は無い(AIとかは進化できるだろう)「歩」がレベルアップして強くなるような将棋を出してもそれがデザイン的に進化か、というと4本足の動物を6本足にしたら1.5倍の速度が得られるかも。という代物だと思う。将棋を指したい人はそんな事を目的に改変された将棋をやらないだろう。サッカーでボールを2個に増やしたら!みたいのも普通興味を持たない(見てみたい気はする)だろう。

今のゲームも数年もすれば過去のゲームになってしまう。だから興味があるのだったら様々なジャンルに手を出すべきだし、そこから学ぶことも多いと思う。自分の遊ぶジャンルは○○です。みたいな事は後で幾らでもできるのだから新鮮な物を新鮮な内に遊ぶ方が良いのでは無いだろうか。アンテナは高く、敷居は低く…誰の言葉か忘れたが昔そんな話を聞いた記憶がある。私の場合、アンテナを高くする努力は続けているが、敷居に関しては自信が無い。それでも興味があったら出来る限り手の届く範囲なら手を広げる努力はしている。

人類で全てのゲームを見た人間は居ないし、これからも居ないだろう。 だから昔のデザインに興味が出たら地獄のハイウェイにようこそ。という事だ。
LGR : Sid Meier's Civilization - DOS PC Game Review
有名な地獄の入口の一つ。「本物の」シド・マイヤーによるデザインのCivilization。そしてシリーズにして最高傑作だ。知らない人には当時どれだけの人間がそのデザインに驚いたか想像も付かないと思う。今遊んで当時と同じ感激を味わうのは不可能だ。今の新作もごく一部はクラシックになるだろう。だが、クラシックになる瞬間を味わえるのは発売されてほんの数年の間に過ぎない。だからそれを味わないというのは勿体無いのではないか、と思う。

今の作品を遊ばずに今の作品を評価する事は出来ないし、逆もそうだと思う。「昔の作品の方が優れている」そうだろうか。私は新しい作品にも見るべき部分は十分あると思う。同様に古い作品も「古いだけ」とは思わない。デザインが今でも光り輝く作品もある。古いゲームを遊ぶ「必要」は無い。それが貴方のゲーム人生を豊かにするかは誰にも保証出来ない。だから自分で確かめるしかない。

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