2013年7月21日日曜日

Prince of Persia: The Sands of Time

Prince of Persia: The Sands of Time (予告)

2003年に発売されたPrince of Persiaのリブート作品。Jordan Mechnerが創りだした最初のPrince of Persiaが一番有名だと思う。
Prince of Persia(1989)

Jordan Mechnerが彼の弟の動きを撮影して、表現した独特のアニメーションは当時既に主流から消えていたApple ][のソフトをランキングに入れるという偉業を達成した。が、その後でた続編はあまりパッとしない物が多く、前作のPrince of Persia 3Dから4年経ってからThe Sands of Timeが発売された。ちなみに発売された時には全体的に好意的な批評とは裏腹に販売はパッとしなかったらしく、その年の終わりにはUbisoftの誰か偉い人のインタビューで「内容は優れていたのに売れなかった」と語られていた。私はその時点でPersiaシリーズ続編の印象が強く何とも思っていなかったのだが、Gamespotだと思うが優れたレベルデザインで評価を受けていて、その時初めて興味を持った。

ちなみに売れなかったのは本当らしく、私が買った時点で既に安くなっていた。正直、ディズニーっぽい印象が良くなく最初はあまり乗り気では無かったのだが、序盤が終わった時にはレベルデザインの素晴らしさに感動したのを覚えている。レベルデザインの素晴らしさに関しては今でもトップクラスだと思う。アクションゲームでは結構有名な作品でもレベルによってばらつきがあるのが普通だ。例えば優れたレベルデザインで有名なGod of Warでも、あるシーンでは登れるような壁が別なシーンでは登れなかったり、簡単な柵や透明な壁が結構ある。まぁそういうのは良くある悪い意味で「お約束」な代物な訳だが、The Sands of Timeではほとんどそういうお約束は無い。一見無理なのでは?と思うようなレベルでも遊んでいく内に主人公のアクロバティックな動作と共に攻略出来てしまう。

キャラクターアニメーションはモーションキャプチャーを使っていないという事で当時話題になった。その内の一人はYannick Bergeronという人で自身が作ったらしいDemoが公開されている。モデリングは今見ると流石に古臭いのだが、モーションは今見ても良くできている方なのではないだろうか。3Dのアニメーションで明らかに2つのモーションが繋がっていないとかは今でも見られる物だが、このゲームではどのモーションからでも滑らかに動きが繋がっており躍動感を感じさせる作りになっている。

戦闘はメカニズムを理解するまではやや単調に感じられる。チュートリアル以外では基本的に特定の条件下で時の短剣で刺さなければ敵を殺せないというデザインになっており、これがユーザに受けなかったらしく続編では完全にその要素がカットされた。ただ、慣れてくると次から次と敵を倒せるので優れた部分があるのだが、それに気が付かないと単調でストレスを感じる作りではあるので敬遠されたのかも知れない。ただ、Assassin's Creedシリーズではカウンターという形で残っているように感じられる。

レベルデザインで主人公のアクロバティックな動作でパズル的な事を行うのだが、こちらは素晴らしい出来。一見わけがわからないようなレベルでも徐々にプレイヤーに慣れさせるように作られており、また砂の渦に触れる事で解き方のヒントを見せる事でプレイヤーにゲームを放り出させないようにしている。また、短剣による時間巻き戻し能力のお陰で失敗が連続しやり直しで嫌になるのを防いでいる。時間巻き戻し能力は数に制限があるため、簡単すぎる物にはなっていない。三部作の後のリブート作品はこれに失敗し、無限にプレイヤーを助けてしまう。当たり前だが、そんな事をするとゲームのプレイヤーのやる事は作業になってしまう。

ちょっと脱線するが、優れたゲームデザインの例えにバランス調整を持ち出す人がいるが、バランス調整はあくまでもバランス調整であって、ゲームデザインでは無い。「誰にとっても等しく挑戦的である」みたいのを「優れたゲームデザイン」と評する人がいるが、プレイヤーの賢さや巧妙さに報いる(例え結果的にそうなったとしても)のがゲームデザインなのであって、上手であろうが下手であろうが同じレスポンスしか得られないような代物はバランス調整以前に単に破綻したデザインだと思う。プレイヤーの技術や努力は報われるべきであって、プレイヤーの愚かさは報いを受けるべきだと思う。明らかに失敗させようとしたり(初見殺しと言うらしい)するのは相当下品だと思うし、難易度を選べたりするのはあっていい。「無限にプレイヤーを助ける」なんていうのは破綻以外の何物でもない。

話を元に戻す。

レベルデザインの素晴らしさについて述べたが、ストーリーも素晴らしかった。攻めこんできた国の王子と攻めこまれた国の王女が助け合いながら最初は警戒しつつも(そりゃあ戦争してた当事者同士な訳で)共に危機をくぐり抜けて中で徐々にお互いを理解してゆく…みたいな話だ。私が書くと恐ろしく陳腐だが、「優れたゲームのシナリオ」とはゲームを遊んでいるプレイヤーの体験が全てだ。だから例え文章にすると陳腐な話であろうが、ゲームを遊んで得られる経験がゲームの根幹な訳で「素晴らしい筋立て=優れたゲームシナリオ」ではない。もしそれが本当にイコールなのだとしたら世界の名作でも元にしてゲームを作れば「素晴らしいシナリオだ!」という評価を受けそうな物だ。だが、そうならないのは当たり前だ。途中に挟まるムービー部分が傑作でゲーム部分がどうしようもない代物だったら、それはどうしようも無い代物だろう。格闘ゲームでアクション部分が崩壊しているがキャラクターが素晴らしい出来でも大半のプレイヤーには駄目なゲームしかならないのだと思う。

Assassin's Creedではゲーム開始から最後まで悲惨な筋書きが披露される。あの酷さを見るとどれだけ開発が困難だったかよく分かるという物だ(何回も書きなおした結果がアレなのだ、恐らくは。…まぁ大作では良くある話ですな)が、このゲームでは全ての歯車が精密な時計の様に噛み合っている。クリアした後は中々感慨深い物があった。今まで遊んだ中でエンディングが感慨深いゲームを10本選ぶとしたらこのゲームを入れると思う。GOGに登場したので簡単に手に入るようになった。サントラ欲しさに私は4本目のこのゲームを買った訳だがPrince of Persia全フランチャイズ中の最高傑作がこのゲームだと思う。ちなみにPS3やXbox360(PCもあった)でThe Forgotten Sandsというこのゲームのリメイクがあるのだが、………どうやって………こんな酷い代物に………とホラーゲームの日記みたいになるぐらい「酷い」。機械式時計のリメイクですって裏蓋を外したら\1,000円ぐらいのクォーツが入ってましたぐらいの絶句感だ。まぁそれでも時計は時計だ。でもまぁ良くもこんな酷い設定にわざわざ直したもんだ、と感じるぐらい酷い。いけ好かない王子が成長する話だったのが、とんでもなく影の薄い王子がぼんやりした表情で超絶アクションをこなす話になった。タイアップゲームは今も昔も変わらない。どんな素晴らしい作品もこんなゴミに。という商売の過酷さを垣間見させてくれる。

今となっては見慣れてしまった香港映画的なワイヤーっぽいアクションだがあれを一般的にしたのがこの作品だと思う。RocksteadyがBatmanでアクション格闘シーンのマイルストーンになったように、このゲームはアクションゲームのマイルストーンの一つだと思う。音楽を担当しているのはStuart Chatwoodで、今作以後の作品も担当している。

2013年5月7日火曜日

ダウンロード販売

やっぱりパッケージが良いという人もいるのだろうが、私はもう物理的に無理なのでPCはダウンロード販売を利用している。
最後に買ったパッケージ版PCソフトはDawn of War IIか?と思ったらThe Lord of the Rings: The Battle for Middle-Earth Anthologyみたいだ。版権の関係か、これはダウンロード販売では売っていなかったからだ。仮にあってもEAだから\12,000円とかになるんだろう。

Steam
  • 主な購入方法はクレジットカード
  • ダウンロード速度は早い
  • トラブルは比較的少ない
  • かなりの確率で多言語対応
  • 主なサポートはフォーラム
  • メジャーな作品はEA以外ほぼカバー
Half-Life2を遊ぶために登録して、それ以降あまり触っていなかったが現在では一番利用しているダウンロード販売のクライアントがSteamだと思う。ダウンロードを行なってデコードと環境が整った段階でプレイ可能になるため、トラブルは比較的少ない。
他の言語への変更もプロパティからすぐにできる。

GamersGate
  • 主な購入方法はPaypal
  • ダウンロード速度は普通
  • トラブルはやや多い
  • かなりの確率で多言語対応
  • 主なサポートはフォーラム
  • 東欧系のマイナー作品もカバー
まったく聞いた事が無いような東欧の作品や、非常に小さな作品も扱っている。現在では他所のダウンロード販売でも扱っているがParadox社のゲームはMOD等を考えるとここで買うのがベストだと思う。
昔はダウンロードがとてつもなく遅かった(当時、Mass Effectは70時間掛かった)が現在は北米にもサーバがあるので結構早くなった。
既にサポートが終了したゲームでも並ぶため、古いソフトとかでは動かないというトラブルが時々ある。古いゲームはGOGとかの方が安全だ。

Origin(日本)
  • 主な購入方法はクレジットカード
  • ダウンロード速度は早い
  • トラブルは多い
  • 英語版か、日本語版がある場合強制的に日本語版(吹き替えも優先)
  • 主なサポートはGoogle
  • EAの作品の半分ぐらいと極一部の海外ゲーム
EAの作品がメインだが、EAの作品を全て扱っている訳ではない。
この辺でわけがわからないが、特長は糞クライアント(前は糞以下だった)と存在しないサポート、機能していないフォーラム、日本語版では字幕機能カット等「プレイヤーの忍耐に挑戦」が売り。
正直言って使いたく無いが、ここでしか扱っていないソフトもあるので面倒だ。

Steamの昔

今のSteamは非常に安定しているが、最初にリリースされたSteamは酷い物だった。
一番大きな違いは、今はダウンロード完了→起動設定→起動だが、最初はストリーム配信を使っていた。つまり最低限の環境をインストールしたあと、必要なデータを随時ダウンロードする仕組みになっていた。今で言うYouTubeみたいなものだ。

じゃあなぜ酷かったのかと言うと、当時の回線は今の数千分の1ぐらいの能力しかなく、ほとんどのユーザはADSLの普及前で数キロ単位の回線しか持っていなかった。ゲームが始まる→数分の読み込み(操作不能)→少し進む→数分の読み込み(操作不能)と、こんな感じ。最初はHalf-lifeしか遊べなかったが、Steamの一番の売りはHalf-Life2が遊べる事だったので、本気で「これでHalf-Life2の配信なんてできんのか?」という印象だった。

結局ストリーム配信から現在のようなダウンロード形式に変わった(ごく初期はストリームだったような気がする…があまり良く覚えていない)ものの、元々ストリーム配信用に作ったからなのか、シーン切り替えの読み込みはかなり遅かった。もちろん現在の性能ならそれほどストレスにはならないのだろう。問題にならなかったのはHalf-Life2がそれほど面白くなかったからだ。Half-Lifeは何度も遊んだが、2はそうでは無かった。発売が遅れに遅れたのも、偉大な前作のおかげで期待し過ぎたのもある。技術ムービーが凄すぎたのも理由だと思う。凄さを感じる事が難しい時代なのはHalf-Life2 ep3がいつまで発売にならない原因の一つでもあるのだろう。

それでもSteamが凄いのはゲームの流通を完全に変えてしまった部分にあると思う。大昔はゲームは船便で届いていた(私の利用していた店ははUKから輸入していた)。大体2~3ヶ月ぐらい掛かる。戦争でスエズが使えなくなると喜望峰経由なので更に倍だ。国内で海外のゲームを扱っている店も幾つかあり、そこに注文すれば1~2週間ぐらいで届くものの、必ずしも欲しいソフトが売っている訳でも無いしかなり割高なケースが多かった。私は幸運にもそれほど遠く無い場所に海外ソフトを扱っている店があったため、運が良ければそのまま買って持ち帰る事が出来たものの、雑誌で欲しいソフトがあれば当然船便待ちとなる。それが購入して1時間もすればゲームが遊べてしまう訳で時代の流れを感じてしまう。

あの頃の方が楽しかったか、と言われれば楽しかったとは思う。店から入荷の電話を心待ちにしていたような気分は今味わう事はできない。だが、あの頃に戻りたいか?と言われれば「嫌に決まってるだろ」と思う。遊びたいソフトは1秒でも早く遊びたいに決まってる。私はパッケージにもマニュアルにももうほとんど感情は無い。だからと言って古いソフトをぽいと捨てられる程割り切れないのは事実だが、極力パッケージは買わないようにしている。…邪魔だから。今でもNovaLogicの糞みたいなパッケージを思い出す。ああいう糞みたいなパッケージは心底邪魔だ。後はOceanの糞でかい箱とか…。

昔の私は今より馬鹿だったのでAmiga版とPC版何が違うのか?とかで両方買ったりしていた。一番多いヤツだと…5バージョン?(違った6だ…限りなき馬鹿さだな)…ヤレヤレだ。現在、個人の所有するコンピュータにおけるゲーム市場はほぼPCで、今後もMacとLinuxが占める部分も10%を越える事は無いと思う。GaikaiのようなStream主体の物が主流になるには通信網が今より発達しないと厳しいのでは無いだろうか。そう考えるとSteamのような形態が後5年ぐらいはベストなのでは無いだろうか。だが、いつかはそれもベストでは無くなり、家に居ながら通信端末みたいのだけで画像装置に繋ぐだけ、みたいな時代が来るのだろうか。そうなるとゲームを所有する、みたいな感覚はほとんど無くなってしまうのかも知れない。ただ、そうなったとしてもPCゲーム市場みたいな物は残り続けるのだろう、と思う。ほとんどの大作がStream主体になったとしても全ての作品がStreamに乗る事は無いだろう。その頃には安価なPCでも現在のGamePCクラスの性能を持っているだろうから、性能的な部分は余程の大作でない限りクリアされているに違い無い。

いつかは「昔はゲームをダウンロードしてインストールして遊んでたんだよね」というのが冗談だと思われる時代が来るのだろうか。私は「昔カセットテープでゲームが売ってたんだよね」と言って冗談だと思われた経験があるので、そういう時代も来るのだろうなと思う。その頃になったら、Steamを「ああ、あったねそういうの」みたいに言う日も来るのだろうか。

コミュニティとゲーム

一時期MOD文化とセットで扱われた代物に「コミュニティ」というのがある。簡単に言ってしまうとコミュニティというのは、そのゲームに興味ある人が集まるフォーラム+開発者との接点みたいな感じだろうか。

有名所だと、Paradox社のゲームが熱狂的なコミュニティを築いているし、概ね有名なゲームにはそれぞれ巨大なコミュニティが構築されている。まぁこの頃の記事はどれもこれも凄くて「MOD文化の発祥はHalf-Life」だとか「RTSの元祖はWarcraft」だとか…それはもう酷かった。MOD自体はApple ][の頃からあった話だし、コミュニティも1980年代には既にあった訳でそれを「フォーラムを設置すれば簡単にコミュニティが!」みたいなのは流石に「お前は電通の回し者か」という感じで結局コミュニティは日本では根付かなかった。当たり前の話だよな。

高度なコミュニティを築くのがどれぐらい難しいかと言うと
  • 最高クラスのコミュニティ管理者が必要
  • 相当優れたクラスのコミュニティ担当が複数必要
  • 24時間体制
  • バックボーン
この4つが最低必要となる。一番難しいのがコミュニティ管理者でこういう人を見つけるのが一番大変だろう。コミュニティ管理者に必要な能力というと、
  • ゲームの知識
  • 開発との太いパイプ
  • バランス感覚
  • ユーモア
  • 精神が超人的にタフ
こんな感じだろうか。3つぐらい持っていたらもう神に感謝した方が良いぐらいだ。人によるだろうが、私の場合記憶に残っているのはFuncom(その後、Blizzard EUの'Thundgot'となる)のThomas 'Cz' Johnsenだ。Anarchy Onlineというゲームは発売1年ぐらい酷い有様だった。それでもコミュニティが形をなしていたのはこの人の功績が大きいと思う。海外の場合、長続きするコミュニティには大体そういった感じの名物コミュニティ管理者がおり、そういう管理者に恵まれなかったコミュニティは相当お寒い状態となる。シベリアのようなフォーラムと言えばここだろう。1ページ目で一番下のPostが2009年…ね。

World of Warcrafのコミュニティマネージャー会議
 コミュニティ管理者の苦労がわかるパロディ動画

コミュニティが活性な場合、プレイヤーの定着率は上昇する。また、プレイヤーの数と年齢層には密接な関係があり、年齢層が若くなればなるほどTrollが増える。Trollが増えすぎるとコミュニティは機能しなくなるため、なんとかしなければならない。この辺に答が無いのがコミュニティの維持が如何に大変か、という部分なのだろう。プレイヤーが本気で怒っているのか、単なる嫌がらせなのか明確に判断する基準は無い。この辺への対応がコミュニティ管理者の腕と言える様に思う。

ただ、コミュニティが活性だからと言って全てが良い方向に動くかと言うとそういう訳でも無く、失敗したコミュニティの例として一番わかりやすいのがCivilizationだろう。最新のCivilizationは現在シリーズの5番目の作品で面白いゲームではあるのだろうが、元々の作品に比べると完全に戦争のためのゲームになっている。不思議な話だが、Empireにどんどん近くなっている。なぜか?プレイヤー達がそう望んだからだ。プレイヤー達の不満がCivilizationのデザインをどんどん歪な形に変化させていった。結果としてよくわからない「スペックを持つ」ユニットが増え、汚職は無くなり、政治形態による制限も薄くなっていった。

プレイヤーが望んだ事だ。そして作り手はそれに応えた訳だ。これが正しいという人もいるのだろう。少なくとも十数年前の私はそう思っていた。だが、インターネットの発展と共にどうも違うような感じを受けるようになった。良い影響だけではなく、悪い影響も同じぐらい大きい(今考えれば当たり前の話だが、当時は実際目にするまで気がついていなかった)と思い、2004年に「声のでかさ×質の悪さ=影響力」と書いたが、今もそう思っている。プレイヤーのフィードバックを元にデザインに変更を施すのは正しいのだろう。だが、プレイヤーのフィードバックがデザインに直接影響するのは正しく無いのだと思う。プレイヤーのフィードバックを直接デザインに反映させた物はデザインの面白さを減少させる事が多い。ただ、商業のデザインは商売な訳で「プレイヤー達からこんな声が届いています」というのはデザイン上、避けられない問題なのだろう。

私はデザインの好みとして、荒削りでもデザイナーの「ここが魅力」というのが伝わってくる物が好きだ。コミュニティの善なる効果は素晴らしいと思う。だが、デザインの魅力を削ぐような行為を見ていると必ずしも良い効果が全てだとは思わない。どのようなデザインであれ、デザインは自由であるべきだと思う。「良く出来ていて」「つまらない」作品が私にとっては一番退屈なデザインだ。私は絶えず人のデザインに関して文句を言っている方なのだろう(褒めるよりは文句言っている方が多い)が、その声が届いて改善されてほしいとは全く思わない。

ゲームのデザインには答は無い。私が気に入らないデザインを好きな人もいるだろうし、逆もまた然り、だと思う。答が無いからこそデザイナー各人の色が出るのではないだろうか。例えばデザインを柱に例えるとするならば、シド・マイヤーは斜めに切り、ウィル・ライトは水平に切り、ピーター・モリニューは縦に切る、なんていう違いが出るかも知れない。シド・マイヤーはデザイン上の取捨選択を好むだろうし、ウィル・ライトは普遍的な事柄をデザインに盛り込もうとするだろう。ピーター・モリニューは入れたいものを全部ぶち込むようなデザインをするのでは無いだろうか(そしてバランスが悪くなった柱が倒れたりする。でもそれが彼のデザインの魅力なのだと思う)。それが全て同じ柱になってしまったら映画のアーリントン国立墓地みたいになってしまうだろう(EAって書いてある柱がどんどん増えるような)。

「コミュニティの総意」(ネットで声が上がってる、Blogで…とかまぁなんでもいい。要は沢山の声があるという状態)みたいのが出来上がって「変更すべきだ」みたいな風潮は昔からある訳だが、「完璧なデザイン」という物は存在しない。柱に楔を打ち込んでも切れた柱を接着剤でくっつけても完璧にはならない。もちろんゲームは遊ぶ人間がいて初めて成立する物だから割合こそ異なれプレイヤーはデザイン上の要素の一つなのだと思う。完璧なデザインが存在しないのは完璧なプレイヤーという物が存在しないからだ。アルタミラの壁画とルネッサンス期の絵画を比べてどちらが完璧ですか?みたいな質問は無意味だと思う。それとも中世絵画はもう古いから現代風に直すべきだとでも?

Bioshock Infinite

Angry Joeによるレビュー

前に発表された予告に比べると、ゲーム本編は期待した物では無かった。
2010年に発表されたらしい「ゲームプレイ」動画

ゲームプレイを除けば本編は素晴らしい出来た。驚嘆する美しさと密度を持つ舞台設定、ゲーム本編に影響を及ぼさないメッセージ性(どう感じるかはプレイヤー次第)、前作Bioshockよりも主人公を全面に出した「様に」見えるのはパブリッシャーからの圧力なのかは不明だが、通常版以外では主人公が描かれていないので恐らくそうなのではないだろうか。

で、ゲームプレイはというと、2007年に発売されたBioshockと違う点は無い。プレイしている感じはほぼ同じだ。違いはというと、環境を使う要素が少ない事と機能していなかったBig Daddyが削られた事だ。そう考えるとゲームプレイの要素はBioshockより少なくなっている。なのでメディアで言われる「画期的なゲームデザイン」というのはどこを指しているのかわからない。私が遊んでいるゲームは違うのか?

ゲームを進めてみて、感じた事は多分ゲームとしての面白さを追求しなかったのでは無いだろうか。という事だ。だって2010年の「ゲームプレイ」動画の方が圧倒的に面白そうだからだ。あれに比べるとRAGEを彷彿とさせる敵AIと特に面白くも無いスカイライン…正直に言えばもっと素晴らしい体験を出来る物と信じていたスカイラインだ。ジェットコースターよりも遥かにしょぼく、あれならスキー場のリフトの方がスリルがあると思う。ゲームとして面白くする事はできたのだと思う。ただ、それを選ばなかったのでは無いだろうか。例えばスピードを出し過ぎたらスカイフックが外れるようにすればプレイヤーは慎重にスカイラインを使うだろうし、ゲーム的にはメリハリが出ただろう。実際の所、ゲームプレイとしてコロンビアが空に浮かんでいる理由は特に無い(私がプレイした範囲での話だが)。

プレイヤーのストーリー体験を中心に据えた結果としてゲームプレイが切り捨てられた様に思われる。残念か?と言われたら残念だと答える。とはいえ、ゲームプレイを切り捨てた結果「画期的なゲームデザイン」として評価され、販売も好調ならそれは成功した結果なのだろう。ただ、そこまでしてストーリー体験を表に出すなら別にFPS形式にする必要があったのだろうか?私の場合、ゲームプレイとストーリーの両輪が回る方が好きで、片側が猛烈な速度で回転すると冷めてしまうため尚更そう感じるのかも知れない。どの武器を使おうが、どのギアを使おうがゲームプレイはさほど変わらない。”なんとかには火が効きません”と表示されても「へぇ」としか思わない。「不味いぞ!火が効かないのかよ!」なんて事は無い。

じゃあどうしてこういうデザインにするのか?という事を考えるとプレイヤーに死亡体験をさせたくなかったからなのでは無いだろうか。プレイヤーを死亡させれば嫌でも「ああ、これはゲームなのか」と感じざるを得ない。だからスカイフックが外れる事も無いし、武器やギアの取捨選択を間違えて詰んだりしない。逆に有利になったりもしない。弾が無くなったら他の武器に切り替え、しょっぱいギアを装備してもうんざりする事も無い訳だ。全てはプレイヤーのストーリー体験の為に、と考えれば納得が出来る。

ああ、そう考えると確かに「画期的なゲームデザイン」と言えなくも無いのか。私はHalf-Lifeの夢から醒めていないだけなのだ。多分心のどこかで再びああいう体験をしたいと思っていて勝手に期待しただけなのだ。Bioshock Infiniteは私にとってお買い得なゲーム(Spec Ops: The Lineと$20分のポイントと…何故かXCOM: Enemy Unknownもついてきた…大丈夫かGamersGate)だった訳だが、まだ 15年前のHalf-Lifeの夢を追っているというかなり苦い自分を知って少し憂鬱だ。FEARで海兵隊との戦いの夢は醒めたが、Half-Lifeで経験した、「環境vs自分」の夢は醒めていなかったのだ。

私がBioshock Infiniteに期待していたのは、コロンビアの環境と戦う事だったのだ。だからここまでガッカリしたのか。ようやくわかった。スカイフックを握りしめて助走してジャンプしたかったのだ。スカイフックをスカイラインに引っ掛け損なって真っ青になりたかったのだ。科学の夢である「空中都市」を体験したかったのだ。想像の中で火花を散らし走るスカイフックを歯を食いしばって握り締めた手応えは素晴らしい物だった。白い雲海と青い空と空に浮かぶコロンビアの光景の中、風を切り裂きスカイラインを進むのはまさに想像を絶する体験だった。 発売までの(ありがたい事に流石2Kだけあって、英語版なのに1ヶ月延期してくれた)ワクワク感を味わったのだから私にとっては良い体験だった。あのワクワク感に比べれば本編でのガッカリなど大した事では無いのだろう。それがわかっただけでも良かった。

2013年3月13日水曜日

Pyrotechnica

LGR - Pyrotechnica - DOS PC Game Review

製作はPsygnosisと言っただけで「ああ…」という反応もする人が多いと思うが…まぁそれで当たり。

1995年に発売になったゲームだが、前年にはDescentが発売されておりこの作品のインパクトというのはほとんど無かった。どれぐらいインパクトが無かったかと言うと、私が当時買っていたPC Gamer(UK)の体験版を遊んで店に注文したら「問屋から扱ってませんって回答でしたわ」というぐらいで、その後も幾つかUK関係の店に当ってみたものの、結局買うことが出来なかったソフトだった。

それから数年後、東京に行った時にソフマップに中古が¥2,980円で売っていて購入した。ちなみにパッケージのデザインが結構好きなのだが、今まで同意を得たことが無い。メカデザインがちょっと…というのは確かにその通りだと思う。でもその辺もPsygnosisらしいという気もする。

星の採掘権を巡る戦いで司令官が囚われて救助する…という内容らしい。ゲーム内容について正直良く覚えていないのだが、攻撃オブジェクトのほとんどに光源が設定されており、飛び交う弾で通路が照らされたり、着弾した弾が周辺を明るく照らすなど、デジタル花火みたいな光景が印象的だった。

Pyrotechnicaという作品はゲームとしてほとんど評価を受けなかった訳だが、映像表現と音楽でプレイした人の印象に強く残った作品なのだと思う。全11曲(だったと思う)は全て体験版に入っていたので聞ける曲は製品版では増えなかったが、GUSに対応していたのは製品版だけだったと思うので、その辺の価値はあったのだと思う。多分。
 Pyrotechnica intro

Pyrotechnica BGM01

 Pyrotechnica BGM02

 
 Pyrotechnica BGM03

 まだソフマップのシールが貼られた箱が本棚に刺さっている。手に入れた時は思わず「おおっ」と口に出すぐらい嬉しかった。(そして東京の中古市場の値段の高さに驚いた。定価を超えたものとか、数万のプレミアがついた作品が売られていた)このゲームとDescent、どちらがデザイン的に価値がありますか?という話になったらほぼ100%がDescentを選ぶのだと思う。それでも手に入れた本人にとってしか持ち得ない価値というものがあるのだと思う。その価値を比較しようとするのは野暮というものなのかも知れない。

Blade of Darkness

黒の剣では無く(あちらも私は相当好きですが)スペインで作られたアクションRPGがBlade of Darknessだ。北米ではSeverance: Blade Of Darknessというタイトルで発売された。つい最近、GOGで販売が開始された。マルチランゲージ版なので、こちらはヨーロッパ版になるのだと思う。

Blade The edge of darkness Juego Español Trailer

北米版でもヨーロッパ版でもタイトル以外に内容は変わらない。特筆すべきは卓越した残虐表現と当時としては非常に豊かなライティング表現、そして男性コーラスを使用した楽曲の迫力だ。女性コーラスを使用したゲーム音楽は多いが、ほぼ男性コーラスのみという作品は珍しいと思う。

Rebel Act Studiosは元々ゲーム会社では無かったらしく、CADとかを扱っていた会社らしい。(当時のフォーラムにはスタッフによるそういう書き込みがされていた)で、初めて製作されたゲームがBlade(開発時タイトル)というタイトルで初めてのゲームという事もあって開発は相当難航したらしく、2000年の発売予定だったが実際に発売されたのは2001年だった。契約の関係からか、開発が完成する前に販売されてしまったせいで初期のバージョンは品質が非常に低かった。最終的にはパッチで安定したゲームにはなったものの、序盤を除けばゲームとしてバランスは常に崩壊している状態で、悪いことに終盤に行くに従って更に悪化してゆく。

デザインはナムコのソウルエッジに影響を受け、通常のスイング振り分けの他にコマンド入力による必殺技があるのだが、必殺技のダメージが敵の強さに合わせてどんどんインフレしてゆくのに比べ、通常の攻撃がほとんど追いつかない。必殺技は装備している武器に固有の物で、アンロックはレベルアップにより行われる。つまりレベルアップがおいついていないと大して効果の無い攻撃を延々行なって倒す事となり、必殺技を使えば一、二発でケリがつくというレベルデザインとなっていた(調整する時間が無かったという事らしい)。結局これは修正されなかった。また、防御した際に盾等にダメージを受ける(鎧はダメージを受けても壊れる事は無い)ので、結構簡単に矢や敵の攻撃で壊れてしまう。まぁそれはそれほどの問題では無いのかも知れないが両手用の武器を持っている際、武器がダメージを受ける。実際、ゴーレムのパンチを長剣でガードした際に一撃で剣は真っ二つになって折れて、思わず「うおぉ!」と声が出るぐらい驚いた。予備の剣に切り替えて苦労してなんとかゴーレムは倒したものの、武具の耐久力は10倍ぐらいあっても良かったのでは無いかと思う。

発売後は良くある流れで開発陣と経営陣と意見がぶつかり、最終的にはRebel Act Studiosは解散してしまう。そのゴタゴタの最中にもXbox版の発売が予告され、イマジニアにも日本語PC版の発売が告知された。もちろん両方ともいつの間にか消え去ってしまった。その後、Mercury Steam Entertainment S.L.という会社が作られ、Clive Barker's Jericho、Castlevania: Lords of Shadow等を作ったそうだ。

と、まぁ問題の満載されたゲームな訳だが、松明が作り出すコントラストの強い陰影!コントになっていない残虐表現!力強い男性コーラスの生み出す楽曲の迫力!独創的なモンスターのデザイン!(特にバンパイアとキメラ)と何度もエクスクラメーションマークを付けたくなるぐらいインパクトの強い作品だった。
Severance: Blade of Darkness Main Theme ( full)