2015年2月13日金曜日

ゲームとゲームレイヤー

ゲームデザインに興味がある人の割合は減る一方なのだろうが、人数としては増えているのだと思う(そう思いたい)。
現在は「ゲームデザイン」と言ってもそれが指すのは人それぞれ違うのだと思う。
ゲーム黎明期はゲーム=ゲームデザインで問題無かった。ゲームの大方針を決めるのはほぼ一人だった。その頃のゲームデザインは非常に個人的な物だった訳だ。
だからゲーム=ゲームデザインで問題なかった。だが、ゲームがこれだけ増え種類が増え、ジャンルも混沌となりゲーム≒ゲームデザインとなった訳だ。

それが一体どうしたの?という話なのだが昔はゲームの事を話すのは、ゲームデザインについて話す事と言葉的に同じだった。だが、今は「ゲームデザインについて」という事が書かれていてもその幅は相当違うと感じる。じゃあ一体、私は「ゲームデザイン」のどこに魅力を感じているのだろうか。私にとって、どこからどこまでがゲームデザインで、ゲームデザインと感じないのはどこなのだろう。それを考えてゲームを大まかに3つの層に分けた。
  • ゲームプレイ
  • 世界観
  • ゲームデザイン
■ゲームプレイ

ゲームプレイはグラフィック、インターフェイス、音楽、操作感…などなどの直接ユーザに触れる、感じる部分がゲームプレイだ。
極端に言ってしまえばゲームプレイだけでゲームは成り立っていている。

■世界観

ゲームのイメージ、中世ファンタジーであったり近未来SFだったり、プレイヤーにそのゲームの画面に描画されない部分を伝える役目を持つ。ゲームに必ずしも必要な要素では無いが、ゲームを補強する物(特にゲームに慣れた人間に対して)である。

■ゲームデザイン

ゲームプレイと世界観をゲームから除いたとして何が残るのか?
私が考えるにゲームプレイと世界観を繋ぐ部分がゲームデザインになると思う。
つまり世界観が無ければ繋ぐ物は存在しないのでゲームデザインも必要が無くなる。


という事を考えて解ったのが私が事象をシステム化する部分に一番魅力を感じているのがわかった。
ゲームプレイが優れている事が世界観が優れている事は示さない。逆もそうだ。世界観をゲームプレイに反映させるためにはゲームデザインがしっかりしたもので無ければならない。

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